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ボビー・バウデンのレガシー

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フロリダ州立大を34年間率い、ナショナルタイトルを2つ獲得したのに大きく貢献した名将、ボビー・バウデン(Bobby Bowden)元監督が膵臓がんのために先日死去。91歳でした。

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ベースボール・マガジン社 (編集)

バウデン氏の歩み


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アラバマ州バーミンガム市で生まれたバウデン氏は長年の夢であったアラバマ大フットボール部に入部。1年間過ごした後にバーミンガム市に戻り地元のハワードカレッジ(現在のサムフォード大)に編入。そこでフットボールだけでなく野球や陸上競技に勤しむスポーツマンとして大学を過ごします。

サムフォード大を卒業するとそのまま母校でアシスタントコーチに就任。そして1956年にはジョージア州にある小さな大学であるサウスジョージアカレッジでフットボール部の監督だけでなく野球部とバスケ部の監督を兼任し、さらにはすべての部活を総括する体育局長(AD)をも務めます。当然小さな大学だからこそ成り立った状況です。フットボール部の監督としてはここで22勝をあげます。


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ハワードカレッジ時代のバウデン氏(後列右)

成績不振を理由にバスケットボール部の監督を解雇されてしまいますが、解雇したのは体育局長である自分自身(笑)。そしてそのままバウデン氏はハワードカレッジに凱旋しそこでトータル31勝6敗という好成績を残すことに成功。その後フロリダ州立大でアシスタントコーチを務めた後にウエストバージニア大に赴任。そして1970年には同校監督のジム・カーレン(Jim Carlen)氏がテキサス工科大監督に就任するためにチームを去り、その後釜にバウデン氏が就任したのでした。

ウエストバージニア大での5年間の成績は42勝26敗とそれなりの数字を残し、その手腕を見込まれてバウデン氏は1976年にフロリダ州立大のヘッドコーチとして招聘されたのです。

フロリダ州立大は元々女学校で1947年に共学大学になったという背景があり、1905年から1946年までフットボール部は存在すらしていませんでした。というわけでフロリダ州立大フットボール部は独立校/無所属の中堅校としてしか人々に知られていなかったのです。しかも1973年から1975年までの3年間の戦績は4勝29敗ということで必ずしも魅力的なチームではありませんでした。

そんな折1976年にバウデン氏が同校の監督に就任したわけですが、初年度こそ5勝6敗と負け越しましたが、2年目には10勝2敗でボウルゲームにも勝利して最終ランキングで全米11位にまで躍進。その後も負け越すことなく次々と勝ち越しチームを世に送り出し、徐々にフロリダ州立大の評価が右肩上がりになり、1980年代後半に入ると二桁勝利は当たり前でフィエスタボウル、シュガーボウル、コットンボウルといったメジャーボウルゲームに招待されることが普通になっていきました。

そして1992年に無所属だったフロリダ州立大は満を持してアトランティックコーストカンファレンス(ACC)所属となります。すると初年度から彼らはACCタイトルを奪取すると1993年にはついに悲願のナショナルタイトルを獲得。1999年にも再び全米の王者に輝きますが、その間実に9年連続のACC優勝を記録。この間常に二桁勝利数を挙げファイナルランキングでは毎年5位以内。まさにこのときのフロリダ州立大は現在のアラバマ大のような強さを誇っていたのです。

2000年に入るとその勢いが少々衰えますが、それでも2002年、2003年、2005年にACCタイトルを手に入れ2009年度シーズンを最後にその輝かしいコーチングキャリアにピリオドを打ちました。

バウデン氏のフロリダ州立大での戦績は34年間で304勝97敗4分け、生涯通算戦績は377勝129敗4分けというとてつもない数字を残しました。NCAA1部/FBS(フットボールボウルサブディビジョン)では元ペンシルバニア州立大監督のジョー・パターノ(Joe Patterno)氏の409勝に次ぐ歴代2位となる勝利数を誇ります。

(バウデン氏とパターノ氏と言えば2005年度シーズンに行われたオレンジボウルで対戦した試合を思い出します。実は筆者はこの試合を現場で見させてもらったのですが、当時はかつて栄華を極めた名将同士の対決として非常に注目を集めました。試合は3度のオーバータイムの末にペンシルバニア州立大がフロリダ州立大を下しました)


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オレンジボウル終了時のバウデン氏とパターノ氏

中堅大学だったフロリダ州立大を泣く子も黙る超強豪校に育て上げたのは他の誰でもなくバウデン氏であり、その功績は計り知れないものがあります。2007年には現役中にも関わらずカレッジフットボールの殿堂入りも果たしており確実にカレッジフットボール界に語り継がれる巨匠。タイプ的には親父肌でチームをまとめ上げるコーチングスタイルであり、その人柄か多くの逸材がバウデン氏の元に集まってきました。その中にはNFLで大成した選手も数多くおり、フロリダ州立大へ行けばフットボール選手としての将来は安泰だとまで言われていたほどです。


バウデン監督の人柄を表すエピソード


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現役当時からバウデン監督はメディアの前に出てくることをなんとも思わず、スポーツ記者ともざっくばらんに言葉をかわすことで知られていた監督です。コミュニケーションを非常に大事にする人物だったらしく、試合後に記者らを自分のオフィスに招いてその試合がどうだったかを語り合ったりすることもあったのだとか。

またバウデン氏は選手の名前を覚えられなかったことでも有名です。覚えていたとしても間違えて覚えていたことも多々あったそうですが、と同時にそのバウデン氏に名前を覚えられたときの選手たちの達成感はとてつもなく大きなものだったのだそうです。しかし彼が絶対に気を使っていたというのが選手たちのお母さんについて。どんなに選手の名前を覚えていなかったとしても、リクルートの要件で選手の自宅に訪れたときにはお母さんたちを褒めちぎり、彼女たちのハートを鷲掴みにしたのだとか。そうすることによってお母さんが選手たちにフロリダ州立大へ進学するように後押ししたのだそうです。選手だけでなく母親も巻き込んでリクルートするというバウデン氏の手法。これはアラバマ大のニック・セイバン(Nick Saban)監督のテクニック(?)としても知られています。

試合に勝っても負けても試合後の会見では普段と変わらない気さくな口調で記者たちの質問に答えるのもバウデン氏ならではでした。そういった意味ではライター界隈で抜群の好感度を得ていたバウデン氏。敗戦後の会見で記者泣かせな監督は数多く居ますが、彼がそうでなかったのは試合にはもちろん勝ちたいが勝てないからと言って人生が終わるわけではない、フットボールはあくまでも生活の一部であって生活の全てではないという信条があったからではないでしょうか。それは今の結果がすべてであるという風潮のアンチテーゼ的な香りさえ漂わせています。

誰からも好かれたバウデン氏

現在アラバマ大はセイバン監督指揮下でダイナスティを謳歌しています。そういった場合必ずと言っていいほどアンチ・アラバマ大ファンというのは生まれるものです。強すぎることへのやっかみともとれますが、フロリダ州立大が絶頂期だった頃も同じようにフロリダ州立大のアンチファンというはどこにでも存在したものでした。

それは特に同じフロリダ州内にあるフロリダ大マイアミ大の出身選手やファンたちに顕著であり、この3校はお互いを忌み嫌う間柄。それぞれのファンは相手ファンを心底嫌っており、その度合は想像を絶するものです。

しかしそんなフロリダ州立大のアンチたちもバウデン氏自身のことを悪く言う人はあまりいませんでした。常勝で歯が立たないフロリダ州立大フットボール部は嫌いだけど、それを率いているバウデン氏は一目置いているという人は結構いるのです。

マイアミ大とフロリダ州立大と言えばいつも僅差のライバリーとして知られていますが、特に1991年の「ワイド・ライト」、1992年の「ワイド・ライトII」、2000年の「ワイド・ライトIII」といった、試合終了時にキックを外すことで試合の勝敗が決るというお決まりのパターンで有名でした。

またフロリダ大とフロリダ州立大のライバリーも白熱することで有名。毎年シーズンフィナーレに行われるこのマッチアップでも名勝負が繰り広げられましたが、バウデン氏が絶頂期の頃のフロリダ大の監督はスティーヴ・スパリアー(Steve Spurrier)氏。彼のフロリダ州立大に対する口撃は非常に有名でしたが、その中でもよく知られているのは「フロリダ州立大のFSUは『フリー・シュー・ユニバーシティ』の略だ」とイチャモンを付けたことでした。


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フロリダ大時代のスパリアー氏

当時からフロリダ州立大は同州内でのリクルーティングにおいて常にフロリダ大よりも一歩先をゆく存在でした。その理由の一つとしてフロリダ州立大はリクルートたちにギフト的なものを贈呈して便宜を図っていたのではないか、という噂は耐えませんでした。そして1993年には現役選手たちが地元ショップからタダで靴を贈与されていたことが明るみになり、故にスパリアー氏はフロリダ州立大を「タダで靴がもらえる大学」と揶揄したのです。

それに関して意見を求められたバウデン氏は「言い返したい気持ちもあるが何も浮かばないんです。(中略)スティーヴ(スパリアー)は選手としてもすごかったけれど監督としても素晴らしい。とっても好感が持てる人物だね」となんとも気持ちよく受け流していました。

ただこの二人の直接対決の戦績は8勝5敗1分けでバウデン氏に軍配が上がり、しかもスパリアー氏はフロリダ州立大でのアウェーゲームで一度もバウデン氏に勝ったことがなかったため、バウデン氏にとって見れば若造の遠吠えにしか聞こえなかったのかもしれません。

そんなスパリアー氏もバウデン氏の死去に接し「彼は本当に一流の人物だった」と回想しました。

レジェンド

ここ数年のフロリダ州立大は迷走を続けていますが、それでも彼らの名前が今でも轟渡っているのはバウデン氏がこのチームを全米の中でも際立つノホの存在感を持つチームに育て上げたからこそ。勝つことが全てで世の監督たちはどんどんテクニカルになっていく中、バウデン氏のような分厚い心を持つ監督の存在は稀有となってきました。現場から退いて10年以上経ちますが、今でもバウデン監督のサイドラインでの存在感は目に焼き付いています。

最後に9年前にフロリダ州立大の殿堂入りを果たしたときのスピーチの様子をご紹介します。当時82歳だったバウデン氏ですが、独特の南部訛りに彼らしいジョークを散りばめたとっても楽しいスピーチです。全編英語ではありますが、下に添付しておきます。

カレッジフットボール界はまた偉大なる貢献者を失いました。ご冥福をお祈りいたします。

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