2018年度の最優秀選手に贈られるハイズマントロフィーを獲得したオクラホマ大のカイラー・マレー(Kyler Murray)。ここ最近でも稀に見る運動神経の持ち主で、一人で試合の流れを変えられるレアな選手です。そんな彼の今後の去就に注目が集まっていましたが、この度プロリーグであるNFLのドラフト入りを宣言しました。
オークランドアスレティクスと契約
ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこのマレー、今シーズン始まる前に行われたプロ野球リーグであるMLB所属のオークランドアスレティックスから野球選手として総合9番目という非常に高い評価を持ってドラフトされていたのです。契約金はおよそ460万ドル(1ドル100円計算で4億6千万円)で、当時マレーはHCであるリンカーン・ライリー(Lincoln Riley)監督よりも稼いでいるなんて茶々を入れられたものでした(後日ライリー監督は契約更新してマレーの額を抜き去り威厳を取り戻しましたが笑)。
【関連記事】マレーがアスレティクスと契約
野球選手としての才能を大きく買われてアスレティックスに1巡目で指名されたマレー
アスレティックスはマレーが2018年だけならばフットボールを続行しても良いという許可を出しました。これは考えてみればかなりリスクの高い条件だったと思います。というのもフットボールが激しいコンタクトスポーツであることは周知の事実であり、マレーがフットボールを続けて大怪我を負う可能性も無きにしもあらずだったわけです。チームの1巡目のドラフト選手であるマレーにもしものことがあったら・・・と思えばアスレチックスがマレーにフットボールを続けさせることを許したのは大変心の広い決断だったとも居ます。
しかしその英断が後々彼らの首を絞めることに・・・。
2018年度の活躍、そしてドラフト入り宣言
2017年度シーズンは同じくハイズマントロフィーを獲得したベーカー・メイフィールド(Baker Mayfield、現クリーブランドブラウンズ)のバックアップを務めており、2018年度が最初で最後の先発シーズンとなったわけですが、ポスト・メイフィールド時代をマレーが担えるのかという疑問を簡単に払拭するほどの大活躍。メイフィールドを超える数字を次々と叩き出し、またチームのディフェンスが貧弱だったのにも関わらずマレーのお陰で勝った試合が多かったことも相まって、マレーの株はシーズンを追うごとに急上昇していきました。
今季が先発出場初のシーズンとは思えないほどの活躍をしたマレー
ハイズマントロフィーレースでは序盤からアラバマ大QBトゥア・タガヴァイロア(Tua Tagovailoa)の一人勝ちの様相が続きましたが、終盤にタガヴァイロアがコケた(といっても怪我のせいもありましたが)ところをマレーが巻いて、見事に栄誉あるハイズマントロフィーを獲得したのでした。
【関連記事】Trophy Goes To…
マレーがMLBのアスレティックスにドラフトされたのは開幕前から当然周知の事実だったわけですが、シーズンを追うごとに重ね続ける素晴らしいパフォーマンスにNFLのスカウトたちやアナリストたちが黙っているはずがありませんでした。最終的には1巡目で指名される可能性もあるという声が多数になってきました。それでも当初はマレーのエージェントは「彼はプロ野球に進む」と明言していましたし、マレー自身もしばらくはこのことに関しては自ら口にしていなかったのですが、シーズンが終わる頃には彼の心が揺れ始めていたようで、ひょっとしたら野球ではなくフットボールでプロ入りするんじゃないかという憶測が流れていたのです。
その事態を憂慮したアスレティックスの重鎮たちはNFLドラフト宣言の締め切り(1月15日)直前にマレーに直接会ってプロ野球の世界に進むように懇願。また契約のアップグレードも提示されたということです。
が、1月14日の月曜日にマレーはこんなツイートを残しました。
I have declared for the NFL Draft.
— Kyler Murray (@TheKylerMurray) 2019年1月14日
フットボール選手としての本能がさせた決断だったのかもしれません。
NFLでの不安点
世間的にはマレーはフットボールではなく野球の道に進むべきだという声もかなり多いのです。それは野球のほうが選手生命が長く、怪我のリスクも少ないということが一つ。そしてもう一つは彼がNFLでは大成しないのではないかという疑いの意見です。
一番心配されているのはそのサイズです。公式には5フィート11インチ(約180cm)とされていますが、実際は5フィート10インチとか9インチ(約175cm)だなんて言われています。
身長がネックかと言われますが・・・
NFLで大成するQBとして必要なことに身長(もしくはサイズ)が挙げられます。それは当然背が高ければ相手ディエンスをよく見渡せるからです。TVで見ていると分かりづらいですが、例えばニューイングランドペイトリオッツのトム・ブレディー(Tom Brady、元ミシガン大)は6フィート4インチ(193cm)、ピッツバーグスティーラーズのベン・ロスリスバーガー(Ben Roethlisberger、元マイアミ大《OH》)は6フィート5インチ(196cm)もあり、小柄に見えそうなカンザスシティチーフスのパトリック・マホームス(Patrick Mahomes II、元テキサス工科大)でも6フィード3インチ(190cm)あります。それを考えるとマレーは5フィート11インチだったとしても小柄です。
ラインマンより背が高いピッツバーグのロスリスバーガー
一方で身長のなさを物ともしない選手もいます。シアトルシーホークスのラッセル・ウィルソン(Russell Wilson、元ウィスコンシン大)です。彼の身長は5フィート11インチでドラフト時にもこの身長のなさのために多くのNFLチームが彼をドラフトすることを躊躇しました。しかしながらウィルソンはシアトルで大活躍。2014年度にはスーパーボウルで勝利して頂点に立ったこともある選手です。
背の低さを弱点と感じさせないシアトルのウィルソン
マレーの機動力、そして野球選手だけある肩の強さはピカイチで、背の低さを十分カバーできるほどの能力を持っているということから彼がドラフト入りすれば1巡目は間違いないと言われているわけです。
兼業は可能か?
ところでかつて二足のわらじを履いていた選手が少数ですが存在しました。有名所ではボ・ジャクソン(Bo Jackson、元アーバン大RB)氏、そしてディオン・サンダース(Dion Sanders、元フロリダ州立大CB)氏です。
ジャクソン氏は1980年代に活躍した殿堂入り選手。ロサンゼルス(当時)レイダースでRB、そしてカンザスシティロイヤルズでは外野手として活躍しました。彼の場合は野球を10月までプレーし、その後レイダースに途中から合流してRBとしてプレーするというスタイルを取っていました。シーズン半分しかプレーできなかったにも関わらず、彼はチームに即貢献できるほどのレアな才能の持ち主でした。
「プライムタイム」のあだ名で親しまれたサンダース氏はNFLではアトランタファルコンズ、サンフランシスコ49ers、ダラスカウボーイズらを渡り歩き、その高い運動神経でリーグを代表するCBとして活躍。またMLBではニューヨークヤンキーズ、アトランタブレーブスなどで外野手としてプレー。彼もNFLならびにカレッジフットボールの殿堂入りを果たすほどの結果を残したのでした。
「ならばマレーも二足のわらじを履けるのでは?」と思う方もいらっしゃるでしょう。
それが非常に難しい理由が大きく2つ。1つ目は彼がQBであるということ。オフェンス陣だけでなくチーム全体のリーダーとして認知されるQBがプレシーズンからシーズン中盤までチームに居ないというのは致命的です。それに非常に複雑なプロリーグでのプレーブックを熟知するためには、全身全霊をプロフットボールの世界に注がなければかなり厳しいとされています。
そしてもう一つは時代が変わったということ。ジャクソン氏やサンダース氏が活躍していた時代のNFLと現在のNFLとでは規模が計り知れない程大きくなっています。その最たるものが動いているお金の額です。選手の年収がどんどん上がっていく中、スター選手をパートタイムで抱えることがビジネス的に割に合うのかという疑問もおこります。また時代とともに選手たちの能力も上がり、それに連動してオフェンスディフェンスのシステムもどんどん複雑化しています。個人の能力がずば抜けているからと言って、途中から合流してなんとかなるようなレベルではなくなってきたということです。
ドラフト入りは正しい選択だったのか?
マレーは今回ドラフト入りを宣言しましたが、これを撤回することもあと2日以内ならできるそうです。そしてアスレティックスとしてもマレーがNFLチームからドラフトされ契約書にサインするまではマレーの所有権を持っていることになります。ですからマレーが心変わりをしてMLBに舞い戻る可能性もないわけではありません。しかしMLBは2月15日にトレーニングが始まりますし、その頃にはドラフト候補生たちはちょうどコンバインの準備で大忙しです。おそらくマレーが進路を考え直すということはないのではないでしょうか。
外野勢がやんやいう気持ちもわかりますが、よくよく考えてみれば筋の通った決断ともいえます。
マレーの野球選手としての成績は確かに悪くはなかったかもしれませんが、カレッジレベルで言えば彼よりもいい数字を残した選手はいくらでも居ます。昨年のオクラホマ大野球部でのマレーの打率は2割9分6厘、本塁打は10本、安打数が51個。これに対しNCAAの定めるディビジョン1部に所属する選手の中で117人が3割5分0厘の打率を残し、64人の選手が15本以上の本塁打を打っています。これから見てもマレーが野球界のトッププレーヤーであったとはお世辞にも言えません。
そしてたとえ野球の道に進んだとしてもおそらく彼はマイナーから発進することになるでしょうし、そうなればメジャーに昇格するまで5年かかってもおかしくはありません。そしてメジャーに昇格しても1000万ドル(10億円)以上の大型契約にこぎ着けられるのはごく僅かです。
しかしフットボール選手としてならば話は別です。彼は既にカレッジレベルでハイズマントロフィーを獲得するほどの逸材としてその才能を証明済みです。そしてドラフトでもし1巡目に指名されれば1000万ドル以上の大金をすぐに手に入れることが出来ます。例えば昨年のドライチ選手だったメイフィールドは総合1位で指名されましたが、その時手にした総額は3200万ドル(32億円)とも言われています。アスレティックスとのサイニングボーナスが460万ドルだったことを考えれば桁違いの契約金です。同じドラフトで第1巡目の最後にボルティモアレイヴンズから指名されたラマー・ジャクソン(Lamar Jackson、元ルイビル大)ですら約950万ドル(9億5千万円)を契約時に受け取ったほどです。
それにもしNFLでのキャリアが思うようにいかなかったらその時にMLBに転身するということも考えられなくもありません。ケースはちょっと違いますが、元フロリダ大QBでデンバーブロンコスなどでプレーしたティム・ティーボ(Tim Tebow)はNFLでのキャリアが終わった後にプロ野球選手に転身してニューヨークメッツ傘下のマイナーリーグでプレー。10年以上プレーしていなかったこともあり、最初は話題作りだなどと揶揄されていましたが、周囲の予想を裏切って頭角を現し、ひょっとしたら来季メジャー昇格もあるかも、とまで言われています。
【関連記事】「ティーボ・タイム」再び?
これが逆だったら難しいですよね。例えば野球を5年ほどプレーしたあとにプロフットボールの世界に飛び込むというのは、アメフトというスポーツの性質上(激しいコンタクトスポーツであることと、戦略がどんどん進化しているということ)厳しいと思います。
あとはマレーが何巡目にドラフトされるのかに焦点が移っていくことでしょう。今年のドラフトは昨年と違ってQB不作の年になるとも言われています。今後各チームでのQB事情次第でマレーが本当に1巡目に指名されるようなことがあるかもしれませんし、逆にコンバインなどで株が落ちるという可能性も無きにしもあらずです。何と言っても身長が1インチ違うだけで契約金の額が大きく変わってくるような世界ですから。