全米大学体育協会(NCAA)はアメリカの大学スポーツを一元管理する非営利団体で、その歴史は古く創設は1906年にまで遡ります。彼らの存在意義はスポーツのルールを制定、選手たちのロースター・エリジビリティ(プレー資格)の管理、規則が守られているかの管理と規則が破られた際の制裁、選手たちの安全確保・・・など多岐にわたります。
各地の大学はその規模からいくつかのディビジョンに振り分けられますが、元はと言えば自主的にNCAAの傘下に入り、NCAAの管理運営の傘の下でスポーツ活動を行ってきたわけです。しかし、時代が移り変わり大学スポーツのあり方なども変わっていく中で、NCAAはアマチュアリズムに固執することで、幾度となく大きな批判を受けてきました。
それは特に近年、NIL(Name/Image/Likeness、選手の肖像権などでお金を儲けることができる仕組み)が解禁された経緯で顕著となったのですが、これは周囲の圧力に負ける形で、半ばさじを投げるようにNIL解禁を容認するも、そのガイドラインは他者に丸投げにしたおかげで、現在NILの状況は大変混沌としています。
そんな中、NCAAは数々の裁判を起こされているのですが、その中でもNCAAの独占禁止法(Anti-Trust Law)違反の疑いで3つの裁判が彼らを相手取って起こされてきました。簡単にいうと、NILが解禁された2021年以前の大学アスリートにも補償をしろ、という訴えでした。
そして2024年5月23日。10年、20年前では想像すらしなかった、新世界のドアの鍵が開錠されたようとしているのです。
歴史的転機
NCAAおよび5つのパワー5カンファレンス(ACC、Big 12、Big Ten、Pac-12、SEC)はこの裁判にて和解することに合意。その和解内容は、2016年以降に大学アスリートとして部活動を行っていた人たちへ総額27億5000万ドル(1ドル100円計算なら2750億円、現在のレート1ドル約150円なら4125億円)を向こう10年間で支払うということ、そしてパワー5カンファレンスに所属するチームに収益を学生アスリートに還元するシステム(Revenue-Sharing)を導入するというものでした。
和解金とも言える27億ドルも当然すごい額で驚かされるのですが、アメリカの大学スポーツ界およびNCAAにとって歴史的な転機となるのはこのRevenue-Shareという仕組みです。
要約すると「大学がスポーツを通じて獲得した収益を学生アスリートに還元する」という仕組みです。これはまさに、これまでNCAAが頑なに拒否してきた、大学から直接学生アスリートにお金が流れるという図式であり、これは彼らの存在意義の根底の一つであるアマチュアリズムの終焉ともいえます。
実際のところ今後正式に認可されるプロセスを踏む必要があり、それにはさらに2ヶ月ほど時間がかかると言われていますが、承認されれば早ければ2025年度シーズンからこの収益分配システムが導入されることになりそうです。
背景
大学スポーツ、とりわけフットボールとバスケットボールは、アマチュアスポーツながらドル箱コンテンツとして近年は市場価値が急上昇。テレビの放映権やメディアの権利のおかげで各大手カンファレンスおよびそこに所属する大学たちは私服を肥やしてきました。
そして大学チームを率いるコーチの給料も軒並み上昇。年収が1000万ドル(1ドル100円計算で約10億円)を稼ぐ監督も出現するほどになったのです。筆者がフットボールを見出した20年以上前には200万ドルを稼ぐ監督が出たことで大騒ぎになったものですが、今となってはその規模が桁違いに変わってしまいました。
このようにして大人たちは甘い蜜を吸いまくってきたわけですが、そのような栄華を堪能できているのも、ひとえに学生アスリートたちがフットボールなりバスケットボールをプレーしているからに他ありません。彼らが大学の名を背負って、リスクを負いながらプレーしているおかげで、大学側には巨万の富が流れているわけです。しかし彼らはアマチュアリズムという名のもとに大人たちに搾取され続ける状況が長く続いていたのです。
それにチャレンジする勇敢な学生アスリートも過去には何人かいました。しかしその度にNCAAという強大な壁に阻まれてきたのですが、カレッジスポーツのビジネスモデルが肥大し、そしてソーシャルメディなどを媒介としてアスリート自身の声が世に出やすくなると、徐々にアスリートにも救済処置を与えるべきではないのか、という声が大きくなっていきました。
そんな折に起きたのがオバノン訴訟です。
訴えたのは元アスリート(UCLAのバスケ選手、エド・オバノン)、訴えられたのはNCAA並びに「NCAAフットボール」や「マーチマッドネス」(カレッジバスケのゲーム)というビデオゲームフランチャイズを制作し続けてきたエレクトロニック・アーツ(EA)でした。
「NCAAフットボール」や「マーチマッドネス」では容姿が実際に存在する選手に瓜二つの架空の選手が登場するのですが、明らかにこれは肖像権の侵害でありこれを元手に利益を得たEAスポーツそしてそれを許したNCAAを訴えました。そしてこれは提訴側の勝利となりEAスポーツは総額6000万ドル(1ドル100円計算で約60億円)の賠償金を元学生アスリートらに支払ったのです。
そして学生にも何らかの対価が支払われるべきだという流れは、2019年にカリフォルニア州知事のギャヴィン・ニューサム氏が「Fair Pay to Play Act(SB206)」という州法に署名をしたことでさらに加速します。このSB206というのは、要するに学生アスリートが自分の名前や肖像権を元に金銭的利益を得ても良いとする法律。つまりNILの容認化です。
NCAAはこれに断固として立ち向かう姿勢を見せましたが、予想外だったのがカリフォルニア州に追随する州が次々に名乗りを上げてきたことでした。NCAAはSB206を施行するならば、カリフォルニア州内にある大学全てをNCAAから追放すると強気の態度を見せていたのですが、逆にNCAAが蚊帳の外に置かれかねない状況に陥ったのです。
さらにそれに輪をかけるように起きたのがアルストン訴訟です。
アルストン訴訟とは、元ウエストバージニア大フットボール選手だったショーン・アルストン(Shawn Alston)氏がNCAAを相手に起こしていた訴訟です。
これまでNCAAは前述の通り学生アスリートが手にできる利益をコントロールしてきました。それは大学生として教育を受ける上で手にできる金銭的・物理的利益においても同じであり、例えば卒業後に教育を続けるための奨学金や、インターンシップで生まれる収入、コンピューターなどの出費などにも制限がかけられてきました。これがアメリカで定める反トラスト法(Antitrust law、独占禁止法のようなもの)に違反しているとアルストン氏は訴えたのです。
そして合衆国最高裁判所は全会一致で提訴側を支持。これによりNCAAは教育に関する金品や物品を学生アスリートが受け取ることを規制できなくなったのです。
そんな周りの圧力に負ける形でNCAAはとうとう2021年夏から大学アスリートが肖像権などを元手に金銭的利益を手に入れても良いという、画期的な決断を下すことになります。NILが正式に解禁となったのです。
ただ、NCAAはNILの法整備などを特に固めずに解禁に踏み切るといったずさんさを露呈。このことでNILは学生たちが自分たちの権利を利用して収入を得るという元来のモデルを離れ、リクルーティングの際の餌に使われるようになってしまいました。
ほぼ内容のないディールに云百万ドルという超大金のディールが提示される。そしてそれをちらつかせて有能選手を転校させる。こんなことが横行してしまい、「Pay for Play」(プレーする対価としてお金をもらうこと)は禁止されているというのは建前だけで、お金を持っているドナー(後援者)やコレクティブ(NILビジネスを仲介するパトロン)が湯水をはたいて有能選手を推しチームに勧誘するようなことが起きてしまいました。
解決策は?
このカオスを生み出したのは前述の通りNCAAのずさんさだと思うのですが、とくに当時のプレジデントだったマーク・エマート(Mark Emmert)氏には大きな批判の矛先が向きました。そのエマート氏が2023年3月に満期で退任。そしてその後釜に座ったのがチャーリー・ベーカー(Charlie Baker)氏でした。
すでにNILがカオス状態だった中、この崩壊したモデルのテコ入れがベーカー氏にとっては最重要課題でした。彼は議会に掛け合って、連邦法によってNILのルールを制定するよう助けを求めましたが、議会側の反応は鈍くNILを根本から見直す必要性はあっても、すでにNCAAの手のひらから飛び立ってしまったこの「怪物」をどうにかする方法が見つからずにいたのです。
NIL自体を亡き者にすることができないのであれば、カレッジスポーツの現状とそれを取り巻くシステムを見直す必要があります。そこで沸き起こった案の一つがRevenue Shareのモデルでした。
現在のNILはスター選手、もしくはチームに貢献してくれそうな逸材ばかりに高額のNILディールが舞い込んでくるのが現状。そこには同じチームの選手なのにスターと呼ばれる選手が高額なNILディールでランボルギーニを乗り回す中、一方で車一台も手に入れることができないというチームメイトがでるなど、まったく平等性のない世界となってしまっていました。
そういった不平等を是正すべく提案されたのがRevenue Shareです。
これは一部の学生アスリートだけが得をするのではなく、すべてのアスリートに分け隔てなく収入を分配しようというアイデアです。こうすればある一部の選手だけを高額ディールを餌に狙い撃ちにすることを阻止する可能性は出てきます。
ただ、このRevenue Shareモデルの最大の問題点は、大学自身が所属選手に直接金銭を授与することを禁じていたことでした。NILにしても表向きは大学がNILディールを斡旋したり提示することはできないのです。
しかし今回の和解でNCAAは、大学側(パワー5)が実質的にお金を渡してもいいという枠組みを作ることにつながるのです。
今回の和解の内容では、パワー5の各大学は年収益の22%(最低でも2000万ドル)をRevenue Share用に確保することが許されるということです。このプールから各大学は選手たちに平等に収益を還元分割することになります。これは今までのNILとは違い、大学から直接選手にお金を渡せるということで、ついにプレーすることで対価を手に入れる「Pay for Play」を禁止してアマチュアリズムを守りたかったNCAAの牙城を崩すことになったのです。
副産物は・・・?
たしかにアマチュアリズムを死守できなかったNCAAとしては、この結論は決して当初望んでいたことではなかったかもしれません。ただ、一度走り出してしまったNILを白紙に戻すことはできず、だとすれば混乱したNILの現状を打開するにはこれまでの手法からアングルを変える必要がありました。
NCAAが今回和解せずに裁判に負けていた場合、とんでもない額の賠償金を支払う羽目になっていたことが予想され、その規模によってはNCAAが破産に追い込まれる、なんて危惧もあったほどです。
それを考えれば、破産を阻止し、さらに不平等と化したNILに一石を投じることができた今回の結果は、NCAAにしてみれば不幸中の幸いとも言えたのかもしれません。とはいえ27億5000万ドルの補償金は彼らの資金の47パーセントにも及びますから痛手であることは変わりませんが・・・。
ですから当然これを手放しで喜べるというわけでもないのは事実。NCAAが設立されて100年以上が経つ中で、大学が選手にお金を配るというのは史上初のこと。これがどのように今後の大学スポーツのあり方を変えていくかは時間が経たないとわからないというのが本当のところです。
ただ、一つ気になるのは、このRevenue Shareのモデルは基本的にパワー5(ないしパワー4)カンファレンス群という、NCAA1部でも上位のサブディビジョンに限って可能なシステムとだということです。
パワー5と対をなす、中堅カンファレンス群であるグループオブ5(アメリカン、カンファレンスUSA、ミッドアメリカン、マウンテンウエスト、サンベルト)カンファレンス群所属チームにはこのモデルは適用されないということになります。
それはひとえにグループオブ5の大学チームに総収入の22%を学生に分配するために確保することが難しく、逆に不平等になってしまうということがその背景にあるようですが、これはここ最近話題に挙げられてきた「スーパーカンファレンス構想」の布石のような気がしてならないのです。
「スーパーカンファレンス構想」とは、現在FBSとして一括りになっている131チームを完全にパワー5とグループオブ5で切り分けてしまおうというものです。
実際のところ、ディビジョン1部のFBS所属と言っても、例えばジョージア大やアラバマ大と、底辺(失礼!)の大学、例えばライス大とかUTEPとかケント州立大、ルイジアナ大モンロー校などを比べたら比較にならないほどの力の差があります。そして収益の面でもどんどん差が出ることで中堅でも下の方のチームはリソース不足となり、ますますトップティアのチームとの差は広がるばかりなのです。
だったらいっそのことパワー5はパワー5で、グループオブ5はグループオブ5でそれぞれナショナルチャンピオンを作ってそれを目指してやっていったほうがいいのではないか?そんな声もあります。
スカラシップ数の上限撤廃
そしてもう一つ忘れてはいけない和解条件があります。それは「スカラシップ数の上限撤廃」です。
これまでFBSのチームではスカラシップ(スポーツ奨学金)を与えることができる人数が85人までと定められていました。これはサラリーキャップのような役目を果たしており、強いチームが有能選手を好きなだけかき集めることができるのを防ぐのが目的でした。
しかし今回この上限が廃止され、簡単に言えばどのチームも好きな人数分だけスカラシップをリクルートたちにオファーすることができるようになったのです。
これまではカレッジコーチたちはこのキャップ数の中で選手のリクルーティングをやりくりしなければなりませんでした。85人の上限に達してしまった場合、それ以外の選手たちは非スカラシップの「ウォークオン」選手であり、実際は「奨学金は出してあげられないけれども、自費で入学してくれれば優先的にチームに入部できる」という「プリファード・ウォークオン(Preferred Walk-on/PWO)」扱いとなります。
しかし、スカラシップを授与できる数が無限となれば、それこそ所属選手全員を奨学金授与選手で揃えることも可能ということになります。スカラシップというのは事実上学費免除ということになりますから、大学側としてはスカラシップをあげればあげるほど損することになりますが、大学スポーツに収入を依存している学校ならばひょっとしたら痛くも痒くもないのかもしれません。
となれば、既存の「PWOとして大学でプレーするという選択肢」というのが極端に縮小されるかもしれないという可能性も含んでいます。
そんな中で議論に挙げられているのは、スカラシップ数のキャップを無くす代わりに、ロースター自体の上限を制限するというもの。そうなればお金のある大学が好きなだけスカラシップ選手を保有するということはできなくなります。たとえばロースター全員にスカラシップを与える代わりに所属できる選手の数を100人までにするということです(現在のフットボール部のロースター上限は120人)。
どちらにしてもスカラシップ数の上限撤廃でウォークオン制度がなくなってしまうかもしれないということはあり得るのかもしれません。ともなれば映画「ルディ」のような話は今後出てこなくなってしまうのかも・・・。
「スカラシップ数上限の撤廃」もまだ最終的に承認されていませんが、もしされればカレッジスポーツ界にとっては大きな変化となりそうです。
今後・・・
先にも述べた通り、今回のニュースはNCAAとパワー5カンファレンスが裁判を起こした原告側と和解することを決定した、というものであり、今後は裁判長の承認を経る必要があるため、完全に決定したことではありません。
ただ、アマチュアリズムに固執してきたNCAAが、学生アスリートに大学から直接お金を配当しても構わないという意思表示をした事自体が歴史的なことであり、NILをきっかけに既存のカレッジスポーツの構造が崩壊してしまった今の現状をなんとか瀬戸際で守り切ろうというNCAAの苦渋の選択だったことが伺えます。
大学という場所が学びの場所であり、学生アスリートは所詮大学生であるということは変わりません。大学でクラスを履修し、必要な単位を取らなければ学位はもらえないわけですから、お金を配られることと、学生アスリートでなくなることは別次元の話です。そう言った意味では今回の決定は学生アスリートたちの教育システムには大きな影響はないと考えられます。
どのスポーツでプレーしてても、プロの世界まで進めるアスリートはほんの一握りしかいません。その他のほとんどのアスリートは引退後に就職して社会に出ていくことになります。ならば、学生である限られた時間に、学業だけでなくチーム活動に時間を割くことに対する対価としてお金を貰えてもいいんじゃないのかという意見は理解できます。
そしてお金をもらうとは言っても決して非雇用人になるわけではありません。学生アスリートが大学からお金をもらうようになることで、そんな世界観は気に食わないとカレッジフットボールの試合を見るのをやめる、というような人がいないとも限りませんが、おそらくファンたちは以前と変わらず推しチームの試合を観るためにスタジアムに足を運ぶでしょうし、テレビの前で熱狂することでしょう。
これまでの固定観念や倫理観に縛られれば、この流れは単純に「古き良きカレッジスポーツが死んだ」と感じるでしょう。しかし、時代が流れれば仕組みや考え方も変わっていくものです。当然これよりもベターな方法はあったとは思いますが、NCAAがしくじってしまった今、置かれたシチュエーションでは最善の選択だったのかもしれませんし、人によっては成すべくして成った、と感じている人もいるでしょう。
どちらにしても長いNCAA傘下のカレッジスポーツにとっては歴史的な転換期を迎えたことは変わりありません。実際にどのような形で決着を迎えるのか・・・。固唾を飲んで見守りたいと思います。