筆者が本格的にカレッジフットボールの世界にのめり込んだのは1998年ころ。アメフトのことなど全く分からなかった私が1996年にアメリカに留学し、以来アメリカの文化とも言えるフットボールにふれる中で特にカレッジフットボールにハマるまでそこまで時間を要しませんでした。
そして1998年のカレッジフットボール界といえばナショナルチャンピオンを選出するための新システムである「ボウルチャンピオンシップシリーズ(BCS)」が導入された初年度でした。そしてその栄えあるBCS初代チャンピオンとなったのがテネシー大でした。
自分はテネシー大のファンというわけではないのですが、カレッジフットボールを見出した頃に彼らがすごく強かったために自分の中でテネシー大フットボール部には少し特別な感情があるのです。
強かったテネシー大ボランティアーズ
テネシー大は創部1891年の老舗で所属するサウスイースタンカンファレンス(SEC)が創立した1932年の翌年である1933年に加入したほぼチャーターメンバー。以来13度のSECタイトルを獲得し全米制覇も6度(1938年、1940年、1950年、1951年、1967年、1998年)達成したことのある名門なのです。
テネシー大のブランドを支えた貢献者に1930年代から1950年代にかけてチームを率いたロバート・ネイランド(Robert Neyland)監督、そして1970年代から1990年代にかけてチームを率いたジョニー・メジャーズ(Johnny Majors)監督の二大ヘッドコーチです。テネシー大ファンとしてはレジェンドのこの二人の偉業があったからこそテネシー大が名門と謳われるようになったのです。
そのメジャーズ監督が1992年度シーズン開幕前に心臓のバイパス手術を受けたため、彼が戻ってくるまでの間OLコーチならびにオフェンシブコーディネーターを務めていたフィリップ・フルマー(Phillip Fulmer)氏が臨時コーチとして開幕3試合を任されこれを3連勝で乗り越えました。その後メジャーズ監督が復帰すると2連勝するもその後まさかの3連敗を喫しSECタイトルレースから脱落。結局このシーズン8勝3敗となりこのシーズン後にテネシー大はメジャーズ監督と袂を分かちフルマー体制が発足するのです。
フルマー時代(1993年〜2008年)
メジャーズ監督というテネシー大のレジェンドの後を引き続ぐという重役を任されたフルマー監督はその勢いを落とすこと無く勝ち越しシーズンを連発。そして就任以来5年目の1997年には遂にSECタイトルをゲット。この年のQBはかのペイトン・マニング(Payton Manning)氏。ただナショナルタイトル取りも視野に入れていた年だっただけにマニング氏を擁してもその高みに登れなかったことでこのシーズンは不完全燃焼な感じが漂っていました。
そして1998年度シーズン。ポスト・マニングシーズンとして彼の後釜を任されたのがティー・マーティン(Tee Martin)氏。そのこともあり開幕当初のテネシー大への期待はそこまで高くありませんでしたが、2戦目で宿敵フロリダ大(当時2位)をOTの末に退けるとそのまま白星を重ね続け11月に入り遂にランキングで首位を獲得。SECタイトルゲームでミシシッピ州立大に勝利してBCSランキング1位を確保するとBCSナショナルタイトルゲームであるフィエスタボウルでフロリダ州立大と対決。この試合を23対16で制しフルマー監督は1967年以来31年ぶりのナショナルタイトルをテネシー大に持ち帰ったのです。
ただその後フルマー体制でナショナルタイトルはおろかSECタイトルを手に入れることもままならず2008年に自身2度目の負け越し(5勝7敗)シーズンを終えるとついに大学側はフルマー体制からの転換を決断し16年の長期政権に終止符が打たれたのです。
筆者がカレッジフットボールに興味をもちだした1998年はテネシー大がナショナルタイトルを獲った年であり、しかも運よくこの年のアラバマ大とのホームゲームに足を運ぶ機会がありました。当時はミシガン大のミシガンスタジアムに次ぐ国内2番目の巨大スタジアムだったネイランドスタジアムがオレンジ色に染まったあの光景はいまだ忘れられず、ファンというわけではありませんがテネシー大は自分にとっていつまでも印象深いチームなのです。
2000年代初頭常に全米10位以内にランクされていたテネシー大と同じくハイランカーだったフロリダ大との試合(通常シーズン開幕後2試合目とか3試合目という早い段階のマッチアップでした)は見応え抜群で、この試合の勝者がSEC東地区の覇権争いで抜き出ると言われていたためカレッジフットボールを見出した筆者にとっては強烈なインパクトを残したチームでした。
フルマー体制後期は負け越しシーズンが2度もあり、2007年には10勝を挙げるもナショナルタイトルをとった1998年から10年経って新たなタイトルから遠ざかっていた状況にファンたちも業を煮やし新体制を求める声はあがっていました。2007年度シーズン後には契約年数更新を果たしたばかりのフルマー監督に見切りをつけたのです。
テネシー大の迷走
しかしその後テネシー大フットボール部は迷走。フルマー監督の後を継いだレーン・キフィン(Lane Kiffin、現ミシシッピ大)監督はたったの1年でサザンカリフォルニア大監督就任のためにチームをさり、その後釜に任命されたデレク・ドゥーリー(Derek Dooley)監督は3年間で勝ち越しシーズンは無く4年で解雇。その後にやってきたブッチ・ジョーンズ(Butch Jones、現アーカンソー州立大)監督は2015年と2016年に2年連続9勝シーズンを達成し2014年度から3年連続ボウルゲームで勝利するというそれなりの結果を残すも、ファンや大学が望んだタイトル獲りには遠く及ばず2017年度シーズン後に解雇となってしまいます。
ジョーンズ監督の後任に誰を選ぶかという事態に陥った2018年、大学側は様々な人物に触手を伸ばしますがことごとく振られてしまいます。また当時オハイオ州立大のディフェンシブコーディネーターを務めていたグレッグ・シアーノ(Greg Schiano、現ラトガース大監督)氏に内定するもファンからの強烈な反対に合い契約を破棄するという一悶着も。またこの騒動で新任の体育局長(AD)であるジョン・カリー(John Currie、現ウェイクフォレスト大AD)が解雇となるすったもんだがあったのです。
参考記事Coaching Carousel 2017 〜 テネシー大の場合
そこでテネシー大は臨時ADに同大学で人気があり最後に大学にナショナルタイトルをもたらした英雄、フィリップ・フルマー氏を起用。AD職未経験ながらそのポピュラリティーだけで体育局を一手に任されたフルマー氏はフットボール部の新監督に当時アラバマ大のディフェンシブコーディネーターを務めていたジェレミー・プルイット(Jeremy Pruitt)氏に白羽の矢を立てたのです。
おそらくプルイット氏を起用した背景には彼がカレッジフットボール界でも抜群の強さと安定感を誇るアラバマ大のニック・セイバン(Nick Saban)監督に師事していたからに他ありません。そのノウハウをテネシー大にも移植してアラバマ大に追いつき追い越せと画策したのでしょう。テネシー大とアラバマ大は元々熱きライバル関係にあり、そのライバルチームに習うというのはいささかプライドが許さなかったかもしれませんが、背に腹は変えられないと言うのがフルマー氏の本音だったのではないでしょうか。
しかしこの企みは失敗に終わります。1年目の2018年度は5勝7敗と負け越し、2年目には8勝5敗と3年ぶりの勝ち越しシーズンを記録するも昨年度の2020年度シーズンは3勝7敗と撃沈。確かに3年で全てをひっくり返してアラバマ大を超えて見せろというのは酷すぎますが、一方でチームの方向性が見えてこない中シーズン中にプルイット陣営がリクルート違反を起こしていたことが発覚。この責任を取る形でプルイット監督とそれに関わったとされる9人のスタッフがクビを切られるという事態に陥ったのでした。
テネシー大がジェレミー・プルイット監督を解雇。重大なリクルーティング違反が判明したため。他にも2人のアシスタントコーチと7人のスタッフも同時に解雇。またADのフィリップ・フルマー氏も引退する模様。
— Any Given Saturday (@ags_football1) January 19, 2021
規則違反による解雇のため大学はプルイット氏らへバイアウト費を支払う義務なし。#ncaajp https://t.co/oXGYFtQbEk
そしてこのプルイット監督を起用することを決めたADフルマー氏も時を同じくして引退を示唆。その後釜にはセントラルフロリダ大ADダニー・ホワイト(Danny White)氏が抜擢されフルマー氏のAD生活は3年で静かに幕を閉じました。
プルイット監督の指示があったかどうかは定かではないにしろ、彼の体制下で行われたリクルート違反(一説にはリクルートたちを勧誘するために現金をマクドナルドの紙袋に隠して渡していたとか←このご時世に信じられない勧誘方法です)により今後NCAAから厳しい制裁が下されるのは必死。ブランドをズタズタにされてしまったテネシー大にとってこのようなチームに名伯楽が来てくれるのか疑問ではありました。
そして新ADのホワイト氏が次期アメフト部監督に打診したのがジョシュ・ハイペル(Josh Heupel)氏。なんてことない、ホワイト氏がテネシー大に来る前の前職場であるセントラルフロリダ大で監督を務めていたという繋がりで引き抜いたというわけです。
迷走の要因は?
ハイペル新監督は現役時代オクラホマ大でプレー。2000年にチームがBCSナショナルタイトルを獲得した時のスターQBで私自身もその時の事をまだ覚えています。卒業後ほどなくしてコーチ業に身を投じ母校でオフェンシブコーディネーターを務めるも恩師でもあるボブ・ストゥープス(Bob Stoops)氏から解雇されてしまうというほろ苦い経験も。
しかしその後ユタ州立大ではジョーダン・ラブ(Jordan Love、現グリーンベイパッカーズ)を発掘し、ミズーリ大ではドリュー・ロック(Drew Lock、現デンバーブロンコス)を指導。そして2018年から自身初の監督食として就任したセントラルフロリダ大ではディロン・ガブリエル(Dillon Gabriel)を全米でもトップクラスのQBに育成。昨シーズンのトータルオフェンス568.1ヤードは全米1位(ミニマム5試合)。オフェンスに重きを置く最近のカレッジフットボールのトレンドにピッタリの監督といえます。
一方でチーム復活を願うファンの望んでいた監督像とは少々ズレているようです。彼らは新監督には実績があるベテランですぐにでもチームの状況をひっくり返せるような優勝請負人を望んでいたのです。それこそアラバマ大のニック・セイバン監督やかつてフロリダ大やオハイオ州立大を率い先日NFLジャクソンビルジャガーズの新HCに就任したアーバン・マイヤー(Urban Meyer)監督のような名指揮官級の人材がやってくるのを願っていました。
ハイペル監督がテネシー大で成功するか失敗するかは当然まだ分かりませんが、少なくとも実績のある監督という訳ではありません。
ここで問題なのは大学自身も含め多くのテネシー大ファンは自分たちが今でもアラバマ大やオハイオ州立大のようなエリート常勝チームの一員なのだと勘違いしている点です。もちろんこれまでの歴史から言ってブランド力はそれなりにあります。しかしだからといってそれが強さのバロメーターになることとは別問題なのです。
フルマー監督が半ば解雇されるような形でチームを去った2008年以来テネシー大はなかなかパッとせず、SEC内でもその存在感が徐々に薄れてきています。この状況に陥ったとき、「テネシー大に全米優勝トロフィーを持ち帰ってきたフルマー監督を切ったあの決断がそもそも間違いだったのだ」・・・と私は思ったものです。
しかしよくよく考えてみるとフルマー監督がタイトルを獲ったのが前述のように1998年。それ以来テネシー大は無冠であり、1999年から彼の最終シーズンである2008年までの10年間で二桁勝利は4度。その間に8勝シーズンが2度あったり負け越しシーズンも2度。その間の戦績は85勝41敗で勝率は6割7分4厘。一般的に言えば悪くはない数字ですが、全米の上位レベルに君臨するには物足りない数字と言わざるを得ません。
4割の確率で10勝以上を獲得し何でもいいからボウルゲームに出場できればそれでよし、というプログラム(大学)であればこの数字でも許されるのかもしれません。しかしこれまで全米制覇を6度も達成している「名門」であるのならばもう一つ殻を破って毎年SECタイトルに絡んでくるようなチームを皆が求めるのです。
そのためにはこの10年間のどこかでフルマー体制と袂を分かつという苦渋の選択を下すべきだったのかもしれませんが、なにぶんフルマー監督は1998年に全米制覇を成し遂げた偉人となってしまったためこの決断を下すことが出来なかったのです。こうなるのだったらむしろ1998年にフルマー監督がナショナルタイトルを獲らなかったほうが良かったのではないか、なんていう人もいるぐらいです。
そのフルマー監督の過去の栄光に縛られ続けたテネシー大のさらなる失敗は、前出のカリー元体育局長を解雇した後釜に体育局の管理職の経験など皆無だったフルマー監督を新体育局長に任命したことです。
そしてそのフルマー局長はジョーンズ元監督の後継者としてアラバマ大DCのプルイット氏に白羽の矢を立てますが、王国アラバマ大でセイバン監督の下で指導してきたとは言えプルイット氏には監督の経験はまったくなく、この起用法には賛否両論分かれました。そしてその予感は的中。監督としてのプルイット氏の評判はイマイチ。そして最後はリクルーティング違反で解雇となり汚点だけ残して去っていったのですから。
結局テネシー大はフルマー監督が持ち帰ったナショナルタイトルの亡霊に振り回されたという考え方もできるわけです。
新監督起用に際して・・・
プルイット陣営のリクルート違反が発覚してプルイット氏を含む多くのスタッフがクビを切られる中、フルマー氏も局長ポストから離れることを明言しその数日後にホワイト氏がセントラルフロリダ大からやってきました。そして高校生リクルートたちが進学先を決定して書類にサインする「ナショナルサイニングデー」が2月第1水曜日に迫っており、これまで勧誘してきたリクルート達を繋ぎ止めるためにも新監督を早急に決めることは死活問題でした。
そしてホワイト氏が就任してからハイペル氏が新監督に決定するまで1週間も経ちませんでした。前述の通りどちらの人物もセントラルフロリダ大からやってきたこともあり、これはパッケージディールであった可能性も拭いきれません。
新監督ならびに新コーチ陣組閣を急ぎたいテネシー大としてはゆっくり人選している時間はなく、これといった目玉コーチが市場に現れていない状況でこのハイペル監督起用は至極無難な決断だったと言えます。
ただこの決断が全人に受け入れられたわけではありません。
テネシー大のファンは気が短いことでよく知られています(気が短いという表現はオブラートに包んでいる表現で実際にはクレージーだと言われていますが)。そんな彼らにとって一刻も早くかつてのような強かったチームに復活させてほしいと強く願っているわけですが、そのためには前述の通り実績のある名将を欲するわけです。となればハイペル監督という選択肢はそういった彼らを満足させたとは言えません。
また卒業生の中にもこの人選に疑問を呈する人物も居ます。
1999年から2001年までテネシー大でDTとして活躍し2002年にドラフト第1巡目でテネシータイタンズに入団。通算10年NFLでプレーして2度プロボウルにも選出されたアルバート・ハインズワース(Albert Haynesworth)氏。テネシー大時代はフルマー元監督の下でプレーし恩師に特別な思い入れのあるハインズワース氏は以前にもフルマー元監督を擁護するコメントを残しました。
そして今回テネシー大がハイペル監督を起用したことに関して再びハインズワース氏が物申しました。
何を言っているのかというと、新監督を決める過程でかつてのスターで1998年の全米制覇時のQBだったティー・マーティン氏にそのチャンスが与えられなかったことをマーティン氏が黒人だからだと主張し、この状況が変わらなければテネシー大での活動をボイコットしようと訴えたのです。
マーティン氏は過去2年間WRコーチ兼アシスタントHCとして母校に帰還。それまでもサザンカリフォルニア大でもオフェンシブコーディネーターを務めるなど着々とコーチ道でその階段を登ってきた指導者。しかも前述の通り98年のタイトル獲りに大いに貢献した選手としてカリスマ性もあり、母校復活を任されるには適任という声はありました。
またそのマーティン氏と同じチームで全米制覇を成し遂げたWRピアレス・プライス(Peerless Price)氏も以下のようなツイートを残してマーティン氏にインタビューするチャンスすら与えなかった母校を批判しています。
Just got off the phone with my Quarterback Tee Martin and to say my guy his hurting is an understatement! My brother if my vision was ever clouded I have clear sight on everything you’ve sacrificed for our University. Damn the pain in my brothers voice I’ve never heard before!
— Peerless Price (@PeerlessTheVol) January 27, 2021
(たったいま俺の大好きなQBティー・マーティンと電話で話したんだけど、心が傷ついたというだけでは済まされないくらい奴は落ち込んでいた。自分は物事を見定める能力がない人間ではあるが、奴が母校のためにすべてを犠牲にしてきたことははっきりと分かる。奴がどれだけ絶望していたかは声からはっきりと分かった。あんな声は今まで聞いたことがなかったのだから。)
ホワイト体育局長がテネシー大に着任してから1週間も経たずにハイペル監督の就任が決まっており、普通に考えればこの間にホワイト氏がハイペル監督以外の誰かとインタビュー(面接)を行ったとは考えづらく、言ってみればこれは出来レースであったと思われても仕方ありません。ナショナルサイニングデー前までになんとしても次期監督を据えてリクルートたちを繋ぎ止める必要があり、監督探しに時間をかけられなかったという事情があったのも確かです。
この状況下で一発逆転を狙える名将をテネシー大に引っ張ってこれる可能性は高くはありませんでしたし、実際プルイット体制で発覚したリクルーティング違反によりNCAAからそれなりの制裁がくだされることが分かっているチームにあえて飛び込んでくる腕利きのコーチがいるとも思えませんでした。ですから割と若手で過去に監督経験がありそれなりの実績を残した人物というプロファイリングに当てはめればハイベル監督起用は無難な選択だったという声も少なくありません。
しかしながら過去の栄光という亡霊に縛られ続けてきた古豪に思い入れのある卒業生やファンにとっては、チームの復活を願う上で様々な思いが今回の新監督誕生に際して生まれたことも事実なわけです。
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当然ハイペル監督が強豪ひしめくSECでその頭角を現すことができれば今回の人選は大成功だったということになりますし、だめなら「ほら見たことか」とか「やっぱりな」とかいう声が漏れることになるでしょう。全ては来シーズンが始まらないと分からないことですが、彼らが強かったあの時期にカレッジフットボールにハマりだした筆者としてはテネシー大が再びコンテンダー(優勝争いに絡めるチーム)に返り咲く日が来ることを大いに期待したいと思います。