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カニングハム氏の功績

カニングハム氏の功績

サザンカリフォルニア大RBで卒業後はニューイングランドペイトリオッツで活躍しカレッジフットボール殿堂入りも果たしたサム・カニングハム(Sam Cunningham)氏が9月7日に他界されました。享年71歳でした。

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ベースボール・マガジン社 (編集)

カニングハム氏といえば2年生時にかのアラバマ大と対戦してこれを打ち破る原動力となった選手として知られています。

1970年当時深南部ではいまだ黒人差別が根強く残っており、当時のアラバマ州知事であるジョージ・C・ワレス(George C. Wallace)氏は白人至上主義者として知られていた人物。その地にカニングハム氏擁するサザンカリフォルニア大(USC)は乗り込んでいきました。

その時のUSCはRBのカニングハム氏に加えQBのジミー・ジョーンズ(Jimmy Jones)氏、TBのクラレンス・デーヴィス(Clarence Davis)氏の3人のバックフィールドがすべて黒人選手で構成されていたチーム。一方のアラバマ大はレジェンドであるポール・「ベアー」・ブライアント(Paul “Bear” Bryant)監督が率いるすべて白人選手のチーム。

この試合でカニングハム氏は12回のキャリーで135ヤードに2TDを記録し、42対21でサウスの名門アラバマ大を蹴散らしたのです。

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アラバマ大と対戦時のカニングハム氏

この年のアラバマ大は結果的に6勝5敗1分けと惨敗シーズンとなるのですが、それよりもブライアント監督はUSCの黒人選手の活躍、特にカニングハム氏の素晴らしいパフォーマンスに感嘆。またこの敗戦後、ブライアント監督はHBCU(主に黒人学生が通う大学)の名門グランブリング州立大の名将エディー・ロビンソン(Eddie Robinson)氏にこのUSC戦での敗戦の衝撃を電話で語ったとか。そしてこのことが以後チームに積極的に黒人選手を起用するきっかけになったといいます。

USCとの敗戦の翌シーズンとなった1971年度、ブライアント監督はRBにウィルバー・ジャクソン(Wilbur Jackson)氏、並びにDEジョン・ミッチェル(John Mitchell)氏の黒人選手を先発起用し11勝1敗という素晴らしい成績を残しました。ちなみにこの年彼らはUSCとも対戦しリベンジを果たしています。そして1977年には17人の黒人選手にスポーツ奨学金(スカラシップ)をオファーするまでに至りました。

後年にカニングハム氏もこのアラバマ大との試合をスポーツ界での公民権運動の分岐点だったと述べています。「人々の暮らしが人種に関わらず平等であるべきようにフットボールフィールド上でもそれは平等であるべきだったのです。」とはカニングハム氏談。

ある歴史家に言わせれば、黒人の公民権運動に大きく尽力したあのマーティン・ルーサー・キング・Jr(Martin Luther King Jr)氏が20年かけて成し遂げたことをカニングハム氏は60分間で成し遂げたのだといいます。

それをキング牧師への冒涜だという批判する声もありますが、少なくともスポーツが及ぼす影響の大きさを表している素晴らしいエピソードだと言えます。

今ではチームの半数以上が黒人選手であることが普通になりました。そのきっかけとなったのがこのカニングハム氏の活躍、そしてその事実を柔軟に受け止めたブライアント監督の判断だったのです。

カニングハム氏のご冥福をお祈りいたします。

元USCのRBで卒業後はペイトリオッツで活躍しカレッジフットボール殿堂入りも果たしたサム・カニングハム氏が9月7日に他界。実はカニングハム氏はカレッジフットボール、ひいては米国の黒人地位確立にも影響を及ぼした人物だったのです。 詳しくはこちら ⬇️⬇️⬇️
カニングハム氏の功績

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