元ケンタッキー大のQBでプロではニューヨークジャイアンツ、インディアナポリスコルツなどに在籍したジャレッド・ロレンゼン(Jared Lorenzen)氏がアメリカ独立記念日の前日である7月3日に他界されました。38歳でした。
ケンタッキー州出身のロレンゼン氏は高校時代から活躍して州内でナンバーワン高校生フットボーラーとしての勲章である、ケンタッキー州の「ミスター・フットボール」に選出されると、大学は同州の旗艦大学であるケンタッキー大へ進学。超攻撃的監督であったハル・マミー(Hal Mumme)氏の下で1年生ながら先発の座を奪取。その後合計三人の異なった監督の指揮下で4年間プレーしたロレンゼン氏は、卒業するときにはトータルオフェンス、パスヤード、パスTDの3つのカテゴリーでスクールレコードを樹立。これらの記録は1999年のNFLドラフトで総合ドライチとしてクリーブランドブラウンズに指名されたティム・カウチ(Tim Couch)氏が保持していたものでした。
元ケンタッキー大QBロレンゼン氏
ケンタッキー大では3年時に勝ち越した(7勝5敗)のみだったにもかかわらず、ファンからは今でも人気のある卒業生でした。その大きな理由の一つとして彼のQBとしては規格外の体格が挙げられるでしょう。彼はQBと言うよりはラインマンのような太めの体格でありながらQBとして活躍し、ファンの記憶に色濃く残ることになります。私も彼の現役時代の頃をよく覚えており、そのサイズからは考えられないほどシャープなパスを投げるなぁと関心したものです。
ケンタッキー大を卒業して迎えた2004年のNFLドラフトではどのチームからも声をかけてもらえませんでしたが、ドラフト外FAでニューヨークジャイアンツへ入団。当時ジャイアンツでは既にイーライ・マニング(Eli Manning、元ミシシッピ大)が先発QBとしてプロキャリアを始めていましたが、ロレンゼン氏は3年目の2006年にはマニングの正式なバックアップにまで昇格しました。そして2007年度シーズンにはジャイアンツの一員としてスーパーボウルに進出し、トム・ブレディ(Tom Brady、元ミシガン大)率いるニューイングランドペイトリオッツを破って見事スーパーボウルの優勝リングを手にいれたのでした(彼自身は膝上することはありませんでしたが)。
しかしそのオフにジャイアンツから解雇されるとその後はインディアナポリスコルツに短期間だけ拾われ、あとはインドアリーグを数チーム渡り歩いた末に2014年を最後に現役を引退していました。
最近では元々の巨漢が更に膨れ上がり500ポンド(約230キログラム)以上となったロレンゼン氏は肥満症に対して警鐘を鳴らすため「ジャレッド・ロレンゼン・プロジェクト」を立ち上げ、自ら1年弱で100ポンド(約45キログラム)のダイエットに成功。このことはアメリカのスポーツ専門局ESPNでもドキュメンタリーとして取り上げられました。
しかしその肥満体質から心臓病並びに腎臓病を患っていたロレンゼン氏は遂にその生命を燃やし尽くし38歳という若さでこの世を去ったのでした。
早すぎるロレンゼン氏の死を悼む声は多く聞かれましたが、ジャイアンツ時代数年間チームメイトだった前述のマニングも以下のようなコメントをジャイアンツ経由で出しています。
“Jared was a great teammate and friend. We competed against each other in college and came to the Giants together. My thoughts and prayers go out to his family. I will always remember his competitive spirit and his good nature. Jared has left us all way too soon.”
— New York Giants (@Giants) July 3, 2019
-Eli Manning pic.twitter.com/OdgZYZ4xvL
ロレンゼン氏が先発QBとして表舞台で活躍したのはケンタッキー大での2003年が最後ですから、彼のプレーを実際に見たことがある方は少ないかもしれません。ロレンゼン氏のご冥福をお祈りしつつ、彼のケンタッキー大でのハイライト動画(インドアリーグ含む)を下に紹介します。