1900年代
当時のハーバードスタジアム
順位 | チーム | 勝率(勝敗数) |
1 | イェール大 | 91%(100勝4敗5分け) |
2 | ミシガン大 | 88%(82勝8敗3分け) |
3 | ハーバード大 | 84%(91勝14敗3分け) |
4 | ミネソタ大 | 82%(80勝10敗7分け) |
5 | ペンシルバニア大 | 80%(100勝17敗7分け) |
6 | スワニー | 79.6%(51勝10敗4分け) |
7 | プリンストン大 | 79.0% (79勝15敗6分け) |
8 | バンダビル大 | 77%(57勝10敗7分け) |
9 | ウィスコンシン大 | 76%(58勝15敗3分け) |
10 | シカゴ大 | 75%(81勝18敗8敗) |
1900年代の顔ぶれをみると前年代と比べて多少の変化が見られます。前年代のトップ4(イェール大、ハーバード大、プリンストン大、ペンシルバニア大)に食い込んできたのがミシガン大とミネソタ大。このチームはトップチームに追いつき追い越せと切磋琢磨し、力をつけてきました。またエイモス・アロンゾ・スタグ(Amos Alonzo Stagg)監督率いるシカゴ大が全米に名を轟かせる時代でもありました。
しかし、カレッジフットボールが徐々に各地に広がっていき、ルールが大きく改正されたこの時期でもイェール大の独壇場は変わりませんでした。
目を北から南に移してみると南部にも強豪チームが現れるようになりました。テネシー州のスワニー(Sewanee: The University of The South)とバンダビル大が南部で頭角を表すと1906年にはバンダビル大はこの年のナンバーワンと呼ばれるほどのチームを輩出するまでに至りました。そしてその他の南部のチームも彼らに追随するのにそう時間を要しませんでした。