1950年代
オクラホマ大とケンタッキー大の間で行われた1951年度のシュガーボウル
順位 | チーム | 勝率(勝敗数) |
1 | オクラホマ大 | 88%(93勝10敗2分け) |
2 | ミシガン州立大 | 76%(70勝21敗1分け) |
3 | ミシシッピ大 | 75%(80勝21敗5分け) |
4 | ジョージア工科大 | 71%(79勝26敗6分け) |
5 | UCLA | 70%(68勝26敗3分け) |
6 | オハイオ州立大 | 68% (63勝24敗5分け) |
7 | ウィスコンシン大 | 61.9%(57勝28敗7分け) |
8 | テキサス大 | 61.5%(64勝38敗2分け) |
9 | ノートルダム大 | 60%(64勝34敗4分け) |
10 | 空軍士官学校 | 58%(55勝30敗9分け) |
第二次世界大戦が終わり、人々の生活が落ち着き始めた1950年代、カレッジフットボール界も活気を取り戻し始めました。
これまで全米を引っ張って来たアラバマ大、ノートルダム大がこの時期苦戦。それに取って代わったのはオクラホマ大でした。この頃の上位の顔ぶれと言ったら常勝のオクラホマ大に毎年入れ替わり立ち替わり様々なチームが敵対すると言う構図が出来上がっていました。
名将バッド・ウィルキンソン(Bud Wilkinson)監督率いるオクラホマ大はこの間47連勝と言う破竹の勢いを見せ、APナショナルランキングでも10年間で9度もトップ10入りを果たしました。それに続いたのがミシシッピ大、ミシガン州立大、UCLA、ジョージア工科大の面々でした。
1940年代のランキングと比べるとテキサス大、空軍士官学校、ノートルダム大の3チームのみが1950年代のランキングに残留し、残りの7チームは全て新顔ということでこれまでの勢力図とは大分違った様相を見せ始めます。
そんな中、苦戦中のアラバマ大にあのレジェンドが監督として就任し今後アラバマ大が世を圧巻するのです。