ナショナルチャンピオン、直訳してみると「全米覇者」ということになるでしょうが、カレッジフットボール界でのチームとしての最高峰の栄誉とも言え、各チームはこれに向けて来る日も来る日も鍛錬を重ねる訳です。
全米最強チームをどのようにして選出するか・・・。全てのチームを戦わせる「バトルロワイアル」のようなことができれば、その生き残りチームにその称号を与えることができるでしょうが、2017年度現在FBSに所属しているチームは120校以上あり、それぞれのチームが全チームと対戦するなんて事は到底不可能です。またFBSはFCSなどと違い長い間プレーオフトーナメントなるものがなかった(2014年よりCFPが導入ましたが)ので、トーナメントの優勝者が全米チャンピオンとなると言う単純明快な図式は存在しませんでした。トーナメントが無いという事は誰にも文句を言わせない絶対的チャンピオンを決める手だてが無かったということです(FBSのフットボールは唯一NCAAが全米優勝チームを決定しない大学スポーツなのです)。
ではどのようにしてその年のカレッジフットボール界の頂点に立つチームを決めてきたのでしょうか?その歴史を紐解いていきましょう。
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カレッジフットボール創成期のコンセプト
ナショナルチャンピオンのコンセプトはカレッジフットボールが始まった19世紀後半から存在してはいましたが、それを決めていたのは複数の個人や出版者達でした。ですから統一されたシステムというのは存在しておらず、それにより当初から選ぶシステムによって全米ナンバーワンチームが複数乱立するという自体もしばしば起きました。過去の記録で同じ年に何チームもナショナルチャンピオンを見つけることが出来るのはその為です。
APとUPランキング
1936年にニュース機関のアソシエーテッドプレス(Associated Press=AP)がスポーツライター達の投票による独自のランキングシステムを開始します。また1922年よりアメリカンフットボールコーチ協会が行なっていたコーチたちの投票によるランキングを別のニュース機関であるユナイテッドプレス(United Press=UP)が1950年に引き継ぎます。これ以降おもにこの2つのランキングシステムが主要ランキングとして使用されてきました。
ボウルコーリション(Bowl Coalition)
1990年にはコロラド大(APが選出)とジョージア工科大(UPの後継者であるUPIが選出)、1991年にはマイアミ大(AP)とワシントン大(UPI)というように2年連続してナショナルチャンピオンが2チーム選出されるという状況に陥ったカレッジフットボール界では、絶対的なナショナルチャンピオンを決められる方法を編み出そうという動きが出始めます。そして生まれたのがボウルコーリション(Bowl Coalition)です。
ボウルアライアンス(Bowl Alliance)
ボウルアライアンスではボウルコーリションに比べて規模が縮小。それまでは6から7試合あったボウルゲームが最上位ボウル(メジャーボウル)のオレンジボウル、シュガーボウル、フィエスタボウルの3つのみになりました。
ボウルチャンピオンシップシリーズ(BCS)
1998年、ボウルアライアンスの後継として生まれたのがボウルチャンピオンシップシリーズ(BCS)です。
カレッジフットボールプレーオフ(CFP)
2014年から4チームによるプレーオフが開催されることになりました。その名も「カレッジフットボールプレーオフ(CFP)」。FBS史上初となるトーナメント方式のプレーオフが現実のものとなったのです。