ナショナルチャンピオンが団体での最高峰の賞であるならば、ハイズマントロフィー(Heisman Trophy)は個人での最高峰の賞ということになるでしょう。ハイズマントロフィーはその年に一番輝かしいプレーをした選手に贈られる非常に名誉ある賞です。正式名称はハイズマンメモリアルトロフィー。ハイズマンとは1900年代初期にイェール大を率いたジョン・ハイズマン(John Heisman)氏の栄誉をたたえて名付けられました。
元々はプライベートクラブの「ダウンタウンアスレティッククラブ(DAC)」(ニューヨーク)が「ミシシッピよりも東側でプレーした選手で最も優れた選手に贈られる」賞として1935年に設立したものでした。そしてその翌年、クラブのディレクターであったジョン・ハイズマン氏が死去したことを受け、この賞が「ハイズマントロフィー賞」と名付けられたのです。それに伴い受賞資格選手は全米に広げられました。
授賞式は毎年12月初旬にスポンサーであるDACで行われてきました。しかし2001年に起こった米同時多発テロでこの施設がダメージを受けてしまい、その年の授賞式はマンハッタンマリオットホテルに移されます。そして2002年にDACが倒産してしまうと以来会場を転々としますが、2005年からはタイムズスクエアにある「プレイステーションシアター」に落ち着いています。またDACが倒産した以降は「ハイズマントロフィートラスト」が新たに設立され、彼らが授賞式を管理運営しています。
この授賞式に招待されるだけでも大きな名誉なことですが、もちろん受賞した選手は永遠にその名を人々の記憶に刻まれることになるのです。それ故に全米トップチームの勝敗が毎週取り上げられる中、ハイズマントロフィー候補選手のパフォーマンスも逐一報道され、毎試合彼らの出る試合は大きく取り上げられます。
最優秀選手賞と言えるこのアワードですが、そのほかにも似たようなアワードが存在します。例えば・・・
AP(アソシエーテッドプレス)プレーヤーオブザイヤー
→「The Most Outstanding Player」に贈られる賞
マックスウェルアワード(Maxwell Award)
→「The Best Player」に贈られる賞
ウォルター・キャンプアワード(Walter Camp Award)
→「The Best Player」に贈られる賞
アーチー・グリフィンアワード(Archie Griffin Award)
→「The Most Valuable Player」に贈られる賞
どれも日本語に訳せば「最優秀選手賞」となることでしょうが、やはり歴史から言ってハイズマントロフィーがカレッジフットボールの個人賞では最も価値のある賞であることは間違いありません。
受賞者は非常にアイコニックな「スティフアーム」をしている選手を模した銅像を受け取ることになります。このモデルになったのは1930年代にニューヨーク大で活躍したエド・スミス(Ed Smith)氏であると言われています。しかし彼自身1982年になるまで自分がハイズマントロフィーのモデルだったことを知らなかったということです。ちなみにスミス氏はそれを記念して1985年にハイズマントロフィーのレプリカを贈呈されたそうです。
受賞者は投票で決められます。長い間スポーツジャーナリストと過去の受賞者に投票権が与えられていましたが、最近ではファンも投票できることになりました。ファン投票での最多得票者に1票が与えられることになっています。
繰り返しになりますがハイズマントロフィーはその年の最も優れた選手に贈られる賞ですが、これまでの傾向からすると個人の賞でありながら、所属するチームの出来も少なからず受賞するかどうかに影響を及ぼしていると思われます。そしてこの賞はFBSのみに与えられる賞とは明記されていないものの、近代に入ってからはFBS、しかもその上位の強豪チームの選手にトロフィーが手渡されているのが現状です。
また受賞してきた選手をポジションごとに見ると、活躍の度合いがわかりやすいオフェンスのスキルプレーヤー(QB、RB)に受賞される傾向があります。唯一ディフェンス側から受賞したのは1997年のチャールズ・ウッドソン(Charles Woodson、ミシガン大)氏ぐらいです。
投票者は全国各地に広がっていますが、地域による票の偏りが指摘されることもあります。というのもカレッジフットボールの「プライムタイム」として放送される試合は東海岸側の方が圧倒的に多く(時差のため)、このせいで西海岸(Pac-10/12カンファレス)の試合が多くの視聴者の目に留まらないという事態が起きているからです。
何にせよフットボールをプレーするものならば誰しもが憧れるハイズマントロフィー。たとえプロで活躍できなくても、将来どこで何をしようとも、このトロフィーを受賞したというだけでその栄誉は永劫語り継がれていくのです。
歴代ハイズマントロフィー受賞者一覧
![]() ジェイ・バーワンーガー Jay Berwanger シカゴ大 HB 1935年 |
![]() ラリー・ケリー Larry Kelley イェール大 End 1936年 |
![]() クリント・フランク Clint Frank イェール大 HB 1937年 |
![]() デイヴィ・オブライエン Davey O’Brien テキサスクリスチャン大 QB 1938年 |
![]() ナイル・キニック Nile Kinnick アイオワ大 HB/QB 1939年 |
![]() トム・ハーモン Tom Harmon ミシガン大 HB 1940年 |
![]() ブルース・スミス Bruce Smith ミネソタ大 HB 1941年 |
![]() フランク・シンクウィッチ Frank Sinkwich ジョージア大 HB 1942年 |
![]() アンジェロ・ベーテリ Angelo Bertelli ノートルダム大 QB 1943年 |
![]() レス・ホーヴァス Les Horvath オハイオ州立大 QB/HB 1944年 |
![]() ドク・ブランチャード Doc Blanchard 陸軍士官学校 FB 1945年 |
![]() グレン・デーヴィス Glenn Davis 陸軍士官学校 QB 1946年 |
![]() ジョニー・ルジャック Johnny Lujack ノートルダム大 QB 1947年 |
![]() ドーク・ウォーカー Doak Walker サザンメソディスト大 HB 1948年 |
![]() レオン・ハート Leon Hart ノートルダム大 End 1949年 |
![]() ヴィク・ジャノウィック Vic Janowicz オハイオ州立大 HB/P 1950年 |
![]() ディック・カズマイアー Dick Kazmaier プリンストン大 HB 1951年 |
![]() ビリー・ヴィッセルズ Billy Vessels オクラホマ大 HB 1952年 |
![]() ジョニー・ラトナー Johnny Lattner ノートルダム大 HB 1953年 |
![]() アラン・アムチェ Alan Ameche ウィスコンシン大 FB 1954年 |
![]() ハワード・カサディ Howard Cassady オハイオ州立大 HB 1955年 |
![]() ポール・ホーナング Paul Hornung ノートルダム大 QB 1956年 |
![]() ジョン・D・クロウ John David Crow テキサスA&M大 HB 1957年 |
![]() ピート・ドーキンズ Pete Dawkins 陸軍士官学校 HB 1958年 |
![]() Billy Cannon ルイジアナ州立大 HB 1959年 |
![]() Joe Bellino 海軍士官学校 HB 1960年 |
![]() Ernie Davis シラキュース大 HB/LB/FB 1961年 |
![]() Terry Baker オレゴン州立大 QB 1962年 |
![]() Roger Staubach 海軍士官学校 QB 1963年 |
![]() John Huarte ノートルダム大 QB 1964年 |
![]() Mike Garrett サザンカリフォルニア大 HB 1965年 |
![]() Steve Spurrier フロリダ大 QB 1966年 |
![]() Gary Beban UCLA QB 1967年 |
![]() O.J. Simpson サザンカリフォルニア大 HB 1968年 |
![]() Steve Owens オクラホマ大 FB 1969年 |
![]() Jim Plunkett スタンフォード大 QB 1970年 |
![]() Pat Sullivan アーバン大 QB 1971年 |
![]() Johnny Rodgers ネブラスカ大 RB/WR 1972年 |
![]() John Cappelletti ペンシルバニア州立大 HB 1973年 |
![]() Archie Griffin オハイオ州立大 RB 1974年、1975年 |
![]() Tony Dorsett ピッツバーグ大 RB 1976年 |
![]() Earl Campbell テキサス大 RB 1977年 |
![]() Billy Sims オクラホマ大 RB 1978年 |
![]() Charles White サザンカリフォルニア大 RB 1979年 |
![]() George Rogers サウスカロライナ大 RB 1980年 |
![]() Marcus Allen サザンカリフォルニア大 RB 1981年 |
![]() Herschel Walker ジョージア大 RB 1982年 |
![]() Mike Rozier ネブラスカ大 RB 1983年 |
![]() Doug Flutie ボストンカレッジ QB 1984年 |
![]() Bo Jackson アーバン大 RB 1985年 |
![]() Vinny Testaverde マイアミ大 QB 1986年 |
![]() Tim Brown ネブラスカ大 WR 1987年 |
![]() Barry Sanders オクラホマ州立大 RB 1988年 |
![]() Andre Ware ヒューストン大 QB 1990年 |
![]() Ty Detmer ブリガムヤング大 QB 1990年 |
![]() Desmond Howard ミシガン大 WR/PR 1991年 |
![]() Gino Torretta マイアミ大 QB 1992年 |
![]() Charlie Ward フロリダ州立大 QB 1993年 |
![]() Rashaan Salaam コロラド大 RB 1994年 |
![]() Eddie George オハイオ州立大 RB 1995年 |
![]() Danny Wuerffel フロリダ大 QB 1996年 |
![]() Charles Woodson ミシガン大 CB/PR 1997年 |
![]() Ricky Williams テキサス大 RB 1998年 |
![]() Ron Dayne ウィスコンシン大 RB 1999年 |
![]() Chris Weinke フロリダ州立大 QB 2000年 |
![]() Eric Crouch ネブラスカ大 QB 2001年 |
![]() Carson Palmer サザンカリフォルニア大 QB 2002年 |
![]() Jason White オクラホマ大 QB 2003年 |
![]() Matt Leinart サザンカリフォルニア大 QB 2004年 |
![]() Reggie Bush サザンカリフォルニア大 RB 2005年(のち剥奪) |
![]() Troy Smith オハイオ州立大 QB 2006年 |
![]() Tim Tebow フロリダ大 QB 2007年 |
![]() Sam Bradford オクラホマ大 QB 2008年 |
![]() Mark Ingram アラバマ大 RB 2009年 |
![]() Cam Newton アーバン大 QB 2010年 |
![]() Robert Griffin III ベイラー大 QB 2011年 |
![]() Johnny Manziel テキサスA&M大 QB 2012年 |
![]() Jameis Winston フロリダ州立大 QB 2013年 |
![]() Marcus Mariota オレゴン大 QB 2014年 |
![]() Derrick Henry アラバマ大 RB 2015年 |
![]() Lamar Jackson ルイビル大 QB 2016年 |
![]() Baker Mayfield オクラホマ大 QB 2017年 |
![]() Kyler Murray オクラホマ大 QB 2018年 |
ジェイ・バーワンガー
シカゴ大HB
1935年にハイズマントロフィーの初代受賞者に。1936年に行われた史上初のNFLドラフトではドライチでフィラデルフィアイーグルスから指名を受けるもプロ入りを固辞した経緯あり。
ラリー・ケリー
イェール大 END
1936年にトロフィーの正式名称が「ハイズマントロフィー」となり(前年度のトロフィーは「ダウンタウンアスレティックトロフィー」という名だった)、ケリー氏が「ハイズマントロフィー」を冠するトロフィーを受賞した初の選手に。
クリント・フランク
イェール大 HB
前年度のケリー氏に続き2年連続イェール大出身選手としてトロフィーを受賞。また同年にはマックスウェルアワードを受賞するなど活躍。卒業後はデトロイトライオンズにドラフトされるもプロ入りを固辞。
デイビー・オブライエン
テキサスクリスチャン大 QB
1938年にハイズマンだけでなくマックスウェル賞とウォルターキャンプ賞も受賞し初の三冠を達成。チームも全米制覇して押しも押されぬ選手に。また最優秀QBに贈られるデイビー・オブライエン賞は彼の名を冠するアワード。
ナイル・キニック
アイオワ大 HB/QB
アイオワ大で「アイロンマン」と呼ばれたキニック氏が樹立した6つのスクールレコードは未だ破られず。卒業後海軍に入隊するも航空事故で25歳の若さで死去。アイオワ大のスタジアム「キニックスタジアム」は彼の名前に由来。
トム・ハーモン
ミシガン大 HB
「Old 98」の異名を持ったハーモン氏は1939年と1940年に全米最多得点を記録。その栄誉を讃え彼の背番号「98」は73年間永久欠番に。ちなみに卒業後空軍パイロットになった際、第2次世界大戦で日本軍のゼロ戦に追撃された経験あり。
ブルース・スミス
ミネソタ大 HB
1940年と1941年にナショナルタイトルを連覇したミネソタ大の主力選手だったスミス氏は4年生時にハイズマントロフィーを受賞。卒業後は海軍に入隊し第2次世界大戦に航空隊員として従軍。彼の背番号「54」は現在まで永久欠番に。
フランク・シンクウィッチ
ジョージア大 HB
ハイズマントロフィーが設立して以来初の南部チーム出身受賞者。1942年には1シーズンでのトータルオフェンスヤードで当時のNCAA新記録となる2187ヤードを獲得。ジョージア大最大のレジェンドの背番号「21」現在まで永久欠番。
アンジェロ・ベーテリ
ノートルダム大 QB
名門ノートルダム大初のトロフィー受賞選手。「Tフォーメーションの魔術師」と呼ばれたベーテリ氏は1943年の4年生時に海兵隊から招集がかかり6試合しか出場しなかったのにも関わらずダントツでハイズマンを獲得。1944年には従軍中にも関わらずドラフト総合1位に。
レス・ホーヴァス
オハイオ州立大 QB/HB
オハイオ州立大初のハイズマントロフィー受賞者となったホーヴァス氏は1942年度シーズン後に一度退部し歯科医を目指しますが、1944年に復帰して9勝無敗シーズンに大きく貢献。2001年に彼の背番号「22」が永久欠番に。
ドク・ブランチャード
陸軍士官学校 FB
第2次世界対戦時にノースカロライナ大から陸軍士官学校に転校。強烈なランスタイルから「Mr.インサイド」の異名を持ち全米制覇2連覇に貢献し、初の3年生としてハイズマントロフィーを受賞。卒業後は米空軍に入隊し大佐にまで昇進。
グレン・デーヴィス
陸軍士官学校 HB
前年度トロフィー受賞者であるブランチャード氏とタッグを組み「Mr.アウトサイド」と呼ばれたデーヴィス氏は1945年に1キャリー平均8.3ydという、未だ破られていない金字塔を樹立。44〜46年に3年連続ハイズマン最終候補に選ばれ、46年に悲願のトロフィーを獲得。
ジョニー・ルジャック
ノートルダム大 QB
1942年から1947年まで(途中2年間は従軍)ノートルダム大でプレーしたルジャック氏は43年、46年、47年の全米制覇に貢献し4年生時にハイズマントロフィーを受賞。また在学時にはフットボールの他に野球、バスケ、陸上を掛け持っていたスーパーアスリートでした。
ドーク・ウォーカー
サザンメソディスト大 HB
1945年から1949年まで(戦後1年間従軍を挟んで)SMUで活躍したウォーカー氏は3年生時にハイズマントロフィーを受賞。HBだけでなくQB、WR、DB、Pとしても優れたマルチプレーヤー。その栄誉をたたえ最優秀RB賞である「ドーク・ウォーカー賞」が1990年に設立。
レオン・ハート
ノートルダム大 END
チームの全米優勝(46年、47年、49年)に貢献したハート氏は48年と49年にオールアメリカン、49年にはハイズマントロフィーとマックスウェル賞を受賞。卒業後は総合ドライチでデトロイトライオンズに入団し8年間プレー。
ヴィク・ジャノウィック
オハイオ州立大 QB/HB
オハイオ州立大で49年から51年までプレーしたジャノウィッツ氏はHBだけでなくQB、DB、P、Kを兼任。一人で46点を叩き出したアイオワ大戦は語り草。名将ウディ・ヘイズ監督に「Triple Threat」と言わしめた逸材でした。
ディック・カズマイアー
プリンストン大 HB
アイビーリーグ出身および今で言うFCS出身選手として最後のトロフィー受賞者。50年と51年の2年間で18勝0敗と無敗を誇り、51年度はトータルオフェンスで全米トップ。卒業後はレーガンおよびブッシュ(父)政権下でスポーツの発展に尽力。
ビリー・ヴェッセルズ
オクラホマ大 HB
これまで7人の受賞者を輩出したオクラホマ大で初めてトロフィーを手にしたのがヴィッセルズ氏。1952年には1072ラッシュヤードに100ヤード超えを7試合で記録。トロフィー受賞者としてこのラン記録は1965年まで破られませんでした。
ジョニー・ラトナー
ノートルダム大 HB
52年と53年に2年連続マックスウェル賞を受賞しオールアメリカンにも選ばれたラトナー氏は53年にハイズマントロフィーを獲得。2位だったミネソタ大のポール・ギール氏とはたったの56票差という史上稀に見る僅差のレースを制しました。
アラン・アムチェ
ウィスコンシン大 FB
FBとLBとしてプレーしたアムチェ氏はチーム初出場となった1953年のローズボウルにて133ヤードを記録。卒業時には当時のNCAAレコードとなる3212ヤードを積み重ねハイズマントロフィーを受賞。彼の背番号「35」は永久欠番に。
ハワード・カサディ
オハイオ州立大 HB
オハイオ州立大で3人目の受賞者。54年と55年にオールアメリカンに選出され、54年にはチームの全米制覇に貢献。大学生涯36試合出場で37TDを記録。またDBとしてもプレーし4年間で1度もパスを通されなかったという伝説も。
ポール・ホーナング
ノートルダム大 QB
QBだけでなくHB、S、Kとマルチプレーヤーとして活躍。4年生時にはパス、ラン、スコアリング、KOリターン、パントリターンでチームトップの数字を残し「ゴールデンボーイ」と呼ばれるように。卒業後はグリーンベイパッカーズで活躍。
ジョン・デーヴィッド・クロウ
テキサスA&M大 HB
レジェンダリーコーチであるポール・ブライアント監督の下でプレー。1958年のドラフトでは1巡目総合2番目にてシカゴカーディナルス入り。現役引退後には母校テキサスA&M大の体育局長にも就任。
ピート・ドーキンス
陸軍士官学校 HB
陸軍士官学校で3人目の受賞者。卒業後はローズ奨学制度を使用してオックスフォード大へ留学。その後は陸軍入りして准将まで昇進。1975年にカレッジの殿堂入り。背番号24は永久欠番に。
ビリー・キャノン
ルイジアナ州立大 HB
1958年と1959年にオールアメリカンに選出されたキャノン氏は1958年の全米制覇に大きく貢献。1960年のNFLドラフトで総合ドライチでヒューストンオイラーズ入り。大学時の背番号20は永久欠番に。
ジョー・ベリーノ
海軍士官学校 HB
在学中にはHB、WR、P、リタナーを務めるマルチタレントぶりを見せて活躍しトロフィーを獲得。卒業後はボストンペイトリオッツで3年間プレー。その栄光を讃え学生時代の「27」は永久欠番に。
アーニー・デーヴィス
シラキュース大 HB
在学時代に2度オールアメリカンに選出。1959年の全米制覇に貢献。1961年にハイズマントロフィーを受賞。黒人選手として初の快挙。同じシラキュース大のレジェンド、ジム・ブラウン氏も使用した「44」は永久欠番に。
テリー・ベーカー
オレゴン州立大 QB
フットボール選手としては1962年にハイズマントロフィーを受賞。1963年にはバスケットボール選手として全米トーナメントの四強「ファイナルフォー」に進出。ハイズマントロフィーを受賞しファイナルフォーに出た唯一の選手。