LSUの新DCにペリーニ氏が就任
昨年度のナショナルタイトルを獲得したルイジアナ州立大ですが、オフシーズンにはパスゲームコーディネーターのジョー・ブレディ(Joe Brady)氏がカロライナパンサーズのオフェンシブコーディネーターに、ディフェンシブコーディネーターのデイヴ・アランダ(Dave Aranda)氏がベイラー大の新監督に就任するなどして数名のスタッフの流出を許しました。
そのアランダ氏の後釜に決まったのがボ・ペリーニ(Bo Pelini)氏。ペリーニ氏は昨年までFCS(フットボールチャンピオンシップサブディビジョン)所属のヤングスタウン州立大で5年間監督を務め2016年にはナショナルチャンピオンシップゲームに進出も果たしました。
それ以前では2008年から2014年までBig Tenカンファレンスの名門・ネブラスカ大を率いたこともあるベテランコーチ。ネブラスカ大にやってくるまでの3年間ルイジアナ州立大のDCを務めたこともあり今回の組閣はペリーニ氏にとっては凱旋ということになります。
ペリーニ氏とルイジアナ州立大の契約は3年契約で年収230万ドル(1ドル100円計算で約2億3000千万円)という好条件。ちなみにアランダ氏の昨年の年収250万ドルがアシスタントコーチとして全米最高額だったことを考えるとペリーニ氏の条件はかなりいいと考えられます。監督としてペリーニ氏はヤングスタウン州立大で年収4000万円でしたから新天地での条件はコーディネーターとしても破格といえます。
ペリーニ氏は敏腕であることは確かですが、短気であることで有名でもあります。ネブラスカ大ではそれが理由で求心力を失ったこともありますから実際のところヤングスタウン州立大を経てまたFBS(フットボールボウルサブディビジョン)、しかもパワー5のルイジアナ州立大という表舞台に戻ってこれたことはある意味すごいと思います。ここで結果を残せばひょっとしたらまた監督としてFBSの監督職に就く日が来るかもしれません。
コロラド大が3つの永久欠番を解除へ
Pac-12カンファレンス所属のコロラド大は今オフにメル・タッカー(Mel Tucker)監督をミシガン州立大に掠め取られてしまいました。そしてその後釜に就任したのが元UCLA監督のカール・ドレル(Karl Dorrell)氏でした。
コロラド大がマイアミドルフィンズのWRコーチ、カール・ドレル氏を新監督に起用。5年1800万ドル(約20億円)の契約。90年代にコロラド大でアシスタントをしていた経験あり。03ー07のUCLAでは監督として35勝27敗ということで正直この高額年収は行き過ぎのような気がしますが...。 https://t.co/VLkCrWkSl8
— Any Given Saturday (@ags_football1) February 24, 2020
そんな感じで新体制が始まったコロラド大ですが、チーム内では別のところでちょっとした変化がありました。というのもこれまで永久欠番となっていた3つの背番号が解禁となったのです。
その3つとは11番、24番、67番です。
11番は1967年から1969年までQBとして活躍したボビー・アンダーソン(Bobby Anderson)氏が使用していた背番号。機動系QBとしてチーム一のラッシャーにもなったアンダーソン氏は4年生時にオールアメリカン(1軍)に選ばれ1970年のNFLドラフトでは1巡目でデンバーブロンコスに指名されました。
デンバーブロンコス時代のアンダーソン氏(#11)
67番は1960年から1961年までOG/LBとしてプレーしたジョー・ロミグ(Joe Romig)氏が使用していた番号。コロラド大出身選手として初めて2年連続オールアメリカンに選出されたロミグ氏は1984年にカレッジフットボール殿堂入りも果たしましたが、選手としてだけでなく英国の名門であるオックスフォード大から与えられる大変貴重な「ローズ奨学金(Rhodes Scholarship)」の授与者でもあります。
当時のコーチと談笑するロミグ氏(#67)
そして24番はバイロン・ホワイト(Byron White、故人)氏が付けていた番号ですが、なんと1937年以来永久欠番になっていた番号なのです。ご想像どおりコロラド大史上初めて永久欠番扱いとなった番号。1937年度の4年生シーズンにはラッシュヤード(1121ヤード)、トータルヤード(1596ヤード)、獲得得点(122点)で全米首位に輝きました。
そしてホワイト氏もロミグ氏と同様ローズ奨学金を授与されるという英才で、NFLピッツバーグスティーラーズやデトロイトライオンズでプレーした後に戦後司法界入りして1962年にはジョン・F・ケネディ大統領から連邦最高裁判所陪席判事に任命され1993年まで31年間も任務をこなしました。
アメリカに11あるアメリカ合衆国連邦裁判所管轄下の控訴裁判所のうちコロラド州デンバー市にある第10巡回区連邦控訴裁判所はホワイト氏の偉業をたたえ「バイロン・ホワイト・連邦裁判所」と命名されています。
連邦最高裁判所陪席判事の集合写真(下段右から二人目がホワイト氏)
これでコロラド大で未だ永久欠番として残っているのは19番。これは1992年から1994年までRBとして活躍したラシャーン・サラーム(Rashaan Salaam、故人)が纏っていた番号。1994年にハイズマントロフィーを獲得し鳴り物入りでシカゴベアアーズ入りするも怪我や薬物摂取などもあり期待通りの活躍はできず2004年に引退。そして残念ながら2016年に拳銃自殺を図るという壮絶な人生に幕を閉じました。
2017年に永久欠番となったサラーム氏の背番号19番は2036年まで有効。それ以降ならば彼の遺族は欠番を解除してもかまわないと言っているそうです。