1930年代
アラバマ大のフランク・トーマス監督(中央)
順位 | チーム | 勝率(勝敗数) |
1 | アラバマ大 | 83%(79勝11敗5分け) |
2 | テネシー大 | 79%(83勝17敗5分け) |
3 | ピッツバーグ大 | 78%(75勝14敗7分け) |
4 | デューク大 | 77%(77勝17敗5分け) |
5 | フォーダム大 | 72.6%(61勝14敗9分け) |
6 | ノートルダム大 | 72.5% (66勝20敗5分け) |
7 | サンタクララ大 | 69.44%(50勝17敗5分け) |
8 | ユタ大 | 69.41%(59勝20敗6分け) |
9 | ミネソタ大 | 68%(57勝19敗6分け) |
10 | オハイオ州立大 | 67%(57勝19敗5分け) |
1930年代に差し掛かると前年代の2大巨頭・ノートルダム大とサザンカリフォルニア大がつかの間のスランプに陥ります。そしてそれに取って代わったのが南部の強豪 ・アラバマ大とテネシー大です。現在も続くこのアラバマ大とテネシー大のライバル関係はこの頃全米のヘッドラインを牛耳っていました。
その他のチームを見てみると様々なチームが数年の活躍ののち全米の檜舞台から消えていくという現象が続きました。北東部ではピッツバーグ大とフォーダム大(ニューヨーク州ブロンクス)がこのエリアの覇権を巡って争い、北の古豪・ミネソタ大は復活したと思えばまた姿を消し、サザンカリフォルニア大が苦戦している間西部ではユタ大やサンタクララ大のようなチームがここぞとばかりに名をあげました。
しかしこれらのチームは地理的に見てそれぞれの地域でのパワーバランスから抜けることができず、長期的に全米中にインパクトを与えることができませんでした。それでもこのような状況がそろそろ落ち着きを見せ始めようとしていた頃に、新たな世界大戦の足音が聞こえてくるのです。