1910年代
この時期ノートルダム大を率いた名将ニュート・ロックニ監督
順位 | チーム | 勝率(勝敗数) |
1 | ハーバード大 | 84%(65勝7敗5分け) |
2 | ノートルダム大 | 83%(46勝6敗3分け) |
3 | テキサス大 | 77%(64勝18敗1分け) |
4 | ジョージア工科大 | 76%(66勝16敗4分け) |
5 | ミネソタ大 | 75.36%(52勝13敗4分け) |
6 | ネブラスカ大 | 75.32% (58勝13敗6分け) |
7 | アーバン大 | 75.0%(60勝16敗4分け) |
8 | ジョージタウン大 | 71.79%(56勝18敗4敗) |
9 | バンダビル大 | 71.76%(61勝19敗5分け) |
10 | ジョージア大 | 61%(43勝18敗9分け) |
1910年代の顔ぶれはご覧の通り前年代とがらりと変わりました。
大きな原因は第1次世界大戦が起きたことです。多くの大学がこの大戦のせいで試合を行えなくなり、リストを見て分かるように絶対的な試合数が激減しました。それに伴いこれまで栄華を築いてきたイェール大、そして北の雄ミシガン大が苦戦。
そんな中僅差で1位にランクされたのはハーバード大。ハーバード大は勝率ではイェール大に劣ってきたものの、古参チームとして最後まで意地を見せ続けました。そこに僅差に迫ったのがかのノートルダム大です。この時期ノートルダム大を率いたニュート・ロックニ(Knute Rockne)監督がフットボール史上初めてフォワードパスを使用したと言われています。
そして他の地域を見ても現在強豪と言われるチームが軒並み顔を揃えています。
中東部からはネブラスカ大、南部からはテキサス大、深南部からアーバン大、ジョージア工科大、ジョージア大、バンダビル大、そして東海岸からはハーバード大に加えジョージタウン大と地理的に言うとロッキー山脈から東側に多くのチームが存在しました。
第1次世界大戦が終わり、世の中がつかの間の落ち着きを取り戻すと、ここまで名門私学チームに食い下がってきたミネソタ大のような創成期から存在するパワーハウスがフェイドアウトし、いよいよ勢力が全米中に広がります。これによってカレッジフットボールは「戦国時代」に突入していくこととなります。