ラリー・スコット氏の改革
そんな中2009年にカンファレンスの再建を託されてコミッショナーに就任したのがラリー・スコット(Larry Scott)氏でした。
就任した2009年当時、スコット氏は明らかにPac-10カンファレンス(当時)は他のメジャーカンファレンスと戦場レベルが違うと感じていました。歴史的背景からメジャー扱いされるものの、SECやBig Tenからは差をつけられるばかり。それは戦績だけでなくブランド力や資金力にも反映されており、Pac-10が全米の表舞台に舞い戻るにはそれらを一挙に手元に引き込む必要があったのです。
Pac-10の存在感を世に知らしめるために就任間際のスコット氏は矢継ぎ早にリーダーシップとビジョンを打ち出しました。当時Pac-10という名の通り10チーム構成だったカンファレンスを拡張するためBig 12カンファレンスの大御所であるテキサス大とオクラホマ大を積極的に勧誘。これはうまくいきませんでしたが、2011年にコロラド大とユタ大を誘致することに成功。正式にメンバーが12校となり名前も現在のPac-12カンファレンスに改名されました。
なぜ12校構成にこだわったのか。これは単純にNCAAが12校以上のメンバーを含むカンファレンスにカンファレンスタイトルゲームを行うことを許可しているからです。それまで10チーム編成だったPac-12はレギュラーシーズンの最終リーグ戦績によって優勝校を決めてきましたが、12校になったことで北地区と南地区の2地区制を敷くことが可能になり、それぞれの地区で優勝した2校がタイトルゲームにて対戦して優勝校を決めるというシステムが出来上がったのです。
そしてその最たるモチベーションは、このタイトルゲームのおかげで放映権やチケットの売上による収入の増加が見込めるようになったのということです。その指揮を執ったのがスコット氏でした。
またスコット氏は米スポーツ専門局ESPNと大手ケーブルネットワークのフォックス(FOX)と放映権契約を取り付け、その額は12年間で30億ドル(1ドル100円計算で約3000億円)という想像を絶するもの。さらにスコット氏はPac-12専門のメディアネットワークであるPac-12ネットワークを創設。スコット氏のコミッショナーとしての手腕は赤丸急上昇となったのです。