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メンドーサとベック【2025年度CFP全米王座決定戦】

メンドーサとベック【2025年度CFP全米王座決定戦】

いよいよ今年度のカレッジフットボールの頂上決戦、CFP全米王座決定戦のキックオフまで間近となりました。長かったシーズンもあと少し。そしてここに未だ残っているのがインディアナ大とマイアミ大の2チームのみ。この2校が全米タイトルという栄誉をかけて1月19日(日本では1月20日)に激突する訳です。

すでにこの試合のプレビュー記事はリリースされておりますが、今回はこの2チームの中心選手であるQBフェルナンド・メンドーサ(Fernando Mendoza、インディアナ大)とカーソン・ベック(Carson Beck、マイアミ大)の二人にスポットライトを当てたいと思います。

(内容は当ポッドキャスト#267の内容が元になっています)

フェルナンド・メンドーサ:母と息子の物語

唯一のチャンスから始まったカリフォルニア大時代

インディアナ大を史上初の15勝0敗という完璧なシーズンに導いたメンドーサは、まさに「シンデレラ」と呼ぶにふさわしいキャリアを歩んできました。

高校時代、星2つの評価しか得られず、主要な強豪校(パワー5)からのオファーが全く届かなかったメンドーサにとって、カリフォルニア大は唯一オファーをくれたパワー5の大学でした。彼は当初コミットしていたイェール大学から土壇場で進路を変更し、そのチャンスを掴み取ったのです。

2022年にレッドシャツとして加入した当初から、メンドーサは練習中にスカウトチームの一員ながら見事なパスを通しまくり、周囲を驚かせていました。そんな彼は2023年と2024年の2シーズンにわたりカリフォルニア大の先発QBを務め、在籍期間中トータル4712パスヤード、30TDを記録。その間三人の異なるオフェンシブコーディネーターの下でプレーするという困難な環境にありながら、着実に成果を残し続けます。

インディアナ大へ転校

カリフォルニア大で先発QBとして2年間、合計で3年間在籍し、カリフォルニア大の学士号も取得していたメンドーサでしたが、NFLという究極の目標に到達するために、さらなる成長を求めてインディアナ大への転校を決意します。

彼がインディアナ大で過ごした2025年シーズンは、大学史上初となる数々の快挙を成し遂げた、まさに「おとぎ話のようなシーズン」と称されています。

ご承知かもしれませんが、インディアナ大はもともとアメフト部で有名な大学ではなく、通算勝敗数でも大きく負け越しているような弱小チームでした。しかしカート・シグネッティ(Cart Cignetti)監督が2024年にやって来ると事態は激変。一年目からインディアナ大はまるで別人のような活躍を見せ続け、誰も想像すらしていなかったCFP出場を成し遂げてしまったのです。

その時のQBはオハイオ大からの転校生だったカーティス・ローク(Kurtis Rourke、現サンフランシスコ49ers)がQBをつとてめていましたが、ロークがチームを去った後の後釜を探していたインディアナ大とメンドーサのマッチングが成功し、メンドーサは西海岸から中西部のインディアナ大に転校することになったのです。

そして今季はチームを13勝0敗の無敗で全米2位チームとしてレギュラーシーズン終了へと導くと、所属するBig Tenカンファレンスの優勝決定戦に進出。そこで全米1位のオハイオ州立大と対戦しこれを13対10で下す番狂せを見せて、1967年以来のカンファレンスタイトル獲得(単独優勝としては1945年以来初)する偉業を達成します。

そして第1シードチームとしてプレーオフに進出した彼らは、準々決勝でアラバマ大を38対3で破り、準決勝のピーチボウルではオレゴン大を56対22で圧倒。この試合でメンドーサは5つのタッチダウンパスを通す圧巻のパフォーマンスを見せ、遂に全米タイトルゲームの大舞台にたどり着いたのです。

記録破りの個人成績と個人賞

またメンドーサははインディアナ大のQBとして、パス成功率71.5%、3172パスヤード、36TD、インターセプトはわずか6回という驚異的な数字を残しました。また、足でも240ヤードを稼ぎ、6つのランタッチダウンを記録するなど、単一シーズンのスクールレコードを次々と樹立。

その結果、Big Tenカンファレンスの最優秀オフェンス選手賞に加え、デーヴィー・オブライエン賞(最優秀QB賞)ウォルター・キャンプ賞、マックスウェル賞(ともに最優秀選手賞)、AP(アソシエイテッドプレス)年間最優秀選手賞など賞を総なめ。

そして極め付けは、カレッジフットボール界でも史上最高の個人賞であるハイズマントロフィーをも受賞してしまいました。インディアナ大の選手として史上初となる受賞となりましたが、受賞の際のスピーチでは自身のルーツであるキューバの言語でもあるスペイン語でメッセージを語るという粋な計らいも見せていました。

参考記事インディアナ大メンドーサがハイズマントロフィー獲得

母への想い

また、そのハイズマントロフィー授賞式でのスピーチで、メンドーサは母・エルサさんへの想いも伝えていました。というのも、彼がその手に抱いたトロフィーの重みは、単なるブロンズ像以上のもので、それは多発性硬化症という過酷な病と闘い続けるお母さんと、二人三脚で歩んできた勝利の証だったからです。

「2つ星」からの逆襲:母が授けたポジティブな力

メンドーサと母エルサさんの物語は、彼が生まれた厳しい冬のボストンで始まりました。慣れない寒さの中、幼い息子を抱え奮闘したエルサにとって、メンドーサは単なる息子ではなく人生という荒波を共に乗り越える人生最初の「チームメイト」でした。

大学時代にはマイアミ大のテニス選手だったエルサさんは、息子にテニスのサーブの動きを教え込んだそうです。「ステップして投げる」。その独特なフォームは、のちに彼をエリートQBへと成長させる、偶然が生んだ練習法となりました。

そんな母とのトレーニングを経てメンドーサが成長する陰で、エルサさんは重大な秘密を抱えていました。約18年前、彼女は多発性硬化症と診断されていたのです。

多発性硬化症とは、体の中の免疫(ウイルスなどと戦う仕組み)が、なぜか自分自身の脳や脊髄の神経を敵だと勘違いして攻撃してしまう病気です。神経を「電気コード」に例えると、周りを包んでいる「絶縁用のカバー」がボロボロに壊されて、中の電線がむき出しになり、電気信号がうまく伝わらなくなるイメージです。そのせいで、目が見えにくくなったり、手足がしびれたり、力が入らなくなったりといった症状が、体のあちこちに「多発」して起こります。

ただ、息子たちに心配をかけたくないという一心で、エルサさんは長年その病を隠し続けました。しかし、数年前の怪我や新型コロナウイルスへの感染が重なり症状が悪化。車椅子での生活を余儀なくされるようになり、ようやく家族に真実を告げたのです。

その際、エルサさんは進行性の難病を抱えていたにも関わらず、「何があっても私たちは愛で繋がっているから大丈夫」と息子たちには気丈に振る舞い優しい言葉をかけたのでした。

メンドーサのキャリアは、前述の通り決して順風満帆ではありませんでした。高校時代、どれだけ努力しても強豪校からのオファーは届かず評価は低迷。周囲が彼を「2つ星の選手」とレッテルは貼る中、エルサさんだけは「あなたを信じている」「必ずチャンスは来る」と励まし続けました。

その彼女の励ましこそが、フェルナンドの最大のエネルギー源となりました。「毎日懸命に病と闘う母を見ていると、自分の悩みなんてちっぽけなもので、しょげている場合ではないと奮い立たせてくれた」と彼はのちに語っています。

地域を動かした「メンドーサ・ブリトー」と「メンドーサ・マニア」

メンドーサがカリフォルニア大に所属していた時、彼は母が闘う多発性硬化症への認識を広めるため、地元レストラン「La Burrita」と提携し、自身の名前を冠した「メンドーサ・ブリトー」をプロデュースしました。そしてこの売上を全米多発性硬化症協会に寄付したのですが、この取り組みはのちにインディアナ大で展開する大規模な慈善活動の原点となります。

そしてインディアナ大に転校すると、アディダスとの大型契約や、自身のブランド「メンドーサ・マニア」を展開し、NIL(Name/Image/Likeness)経由でカレッジ会では全米トップ5に入る260万ドル(約4億円弱)を稼ぎ出します。そして、手にした収益を彼は自分ではなく母を苦しめる全米多発性硬化症治療のための研究支援へと注ぎ込んだのです。

弟のアルベルトと共に展開した「メンドーサ・マニア」などのプロジェクトを通じ、彼らはこれまでに12万5,000ドル(約1900万円以上)を超える寄付を行っています。これだけの大金を手にすれば私利私欲のために湯水のようにお金を使ってしまいそうなものですが、そうしなかったところにメンドーサが両親にどのように育てられたかが見て取れますよね。

ハイズマン賞の壇上で交わされた約束

ハイズマントロフィーの授賞式の数日前、エルサさんは息子・フェルナンドに宛てて一通の手紙を書きました。

「フェルナンド、あなたが誇らしいのは、フットボールの試合に勝ったからでも、様々な記録を塗り替えたからでもありません。それは、あなたが一人の男性として、他者を思いやり、神を信じ、多くの人に希望を届ける存在に成長したからです」

そして受賞の瞬間、メンドーサは涙をこらえながら、最前列で見守る母へと語りかけました。

「お母さん、あなたは僕の最初のコーチであり、最大のファンであり、そして何よりも僕のヒーローです。あなたが身を粉にして働いてくれたから今の僕があります。いつもそばで応援してくれたこと、そして愛を注いでくれたこと、それらの事は今後自分が生きていく中での『プレーブック』として永遠に胸に刻まれる事でしょう。

タフであることは決してあからさまでなければいけないということでは無いということも教えてくれたし、世界が信じなくても自分自身を信じることの意義も教えてくれました。誰もが不可能だと思っていたことを二人で可能にしたんです」

そんな深い家族愛を胸にメンドーサは全米タイトル獲りに挑むのです。

カーソン・ベック:不屈の再起

ベックはマイアミ大のオフェンスを操る司令塔としてチームを23年ぶりの全米王座決定戦へと導き、まさに「時の人」となっています。しかしほんの1年前、彼のフットボールキャリアは終わったとさえ言われていました。ジョージア大で肘に負った大怪我、急落したNFLドラフトでの株、そして周囲からの懐疑的な声。ここでは彼がどのようにして「もう過去の選手だ」というレッテルを跳ね除け、マイアミ大のヒーローへと登り詰めたのか、その軌跡をたどります。

ジョージア大時代

ベックのジョージア大での5年間(2020年〜2024年)は、「忍耐」と「エリートとしての台頭」、そして「劇的な幕切れ」という紆余曲折を経た5年間でした。

彼は4つ星の有望株としてジョージア大に入学しましたが、最初の3年間は先発QBステソン・ベネット(Stetson Bennett、現LAラムズ)の控えとして過ごしました。この期間、彼はベネットから学びながら、2021年および2022年シーズンの全米王座獲得をベンチから経験しました。

2020年から2022年にかけての出場はごくわずかで、3年生となった2022年でも出れた試合数は7試合で獲得したパスヤードは310ヤード、奪ったTDも4TDという記録でした。3年の下積み時間は長く、新天地を求めて転校するという決断もできたかもしれませんが、彼は転校せずに自分の番を待ち続ける道を選びました。

そして2023年、ついに先発の座を勝ち取ると、ベックは全米屈指のQBとしてその才能を開花させました。この年、彼はパス成功率72.4%(全米4位)、3941パスヤード(FBSで3位)を記録し、チームを13勝1敗の好成績に導きました。またTD数24に対しインターセプトはわずか6つと、高い精度と判断力を示し、彼の株は急上昇します。

しかし、さらなる飛躍と全米王座奪還を期待された2024年シーズンは、浮き沈みの激しいものとなりました。特にシーズン中盤(第4戦〜第10戦)には12個のインターセプトを喫し、SEC(サウスイースタンカンファレンス)で最多のインターセプト数を記録する苦境に立たれてしまい、開幕時の評価はガタ落ちに。

そしてテキサス大とのSEC優勝決定戦において、ベックは試合終盤に右肘を負傷。その後パスを投げることは叶わず、最後の最後で決勝のTDをお膳立てするハンドオフを身を挺して決めて逆転勝利に貢献。チームはSECタイトルを手に入れたものの、ベックは肘の靭帯(UCL)を断裂し、ジョージア大はプレーオフに進出する中、肘靱帯の再建手術を余儀無くされ、彼のジョージア大でのキャリアは突然の終わりを迎えてしまったのです。

ジョージア大では通算7912パスヤード、58TDを記録し、これらはいずれもジョージア大史上歴代6位の記録。先発としての通算成績は24勝3敗と、ナショナルタイトルこそ取れませんでしたが、ファンの記憶に残る存在感を見せてくれました。

ただ、肘の怪我の治療のためにシュガーボウルへの準備期間にチームを離れたことや、彼の私生活が注目されたことで、一部のチーム関係者との間に緊張が生じたことも報じられています。さらにシーズン中の調子や肘の怪我のことが原因で、NFLドラフトの評価が1巡目候補から3日目(下位指名)まで急落。これを受けベックはドラフト入りを撤回し、そして最終的に彼はさらなる成長とNILの機会を求めてマイアミ大への移籍を決断したのです。

マイアミ大時代

マイアミ大とは推定400万ドル(約6億円)以上という、大学フットボール界でも最大級のNIL契約を結んだとされています。当然これは魅力的な転校要因ではありますが、そのほかにもマイアミ大のオフェンシブコーディネーター、シャノン・ドーソン(Shannon Dawson)氏の戦術が、自身のプロ入りに向けたアピールに最適だと判断したとも言われています。

さらに、当時マイアミ大女子バスケットボール部のスター選手であったハンナ・キャビンダー(Hanna Cavinder)と交際していたことも、移籍を後押しした要因の一つと報じられています(すでに破局という話も)。

ベックにとってはセカンドチャンスとして、そしてマイアミ大としては名門再興の最後のピースとしてベックを招き入れて迎えた2025年度シーズン。予想通り先発QBに任命されたベックは、周囲の彼に対する懐疑的な声を結果で黙らせていきます。

今シーズンは、パス成功率約74.4%、3313ヤード、27TD、10インターセプトを記録。また9月に行われたベスーンクックマン大との試合では15回連続パス成功というマイアミ大の新記録を樹立し、1986年に樹立したヴィニー・テスタバーデ(Vinny Testaverde)氏の記録を塗り替えたりもしました。

途中ルイビル大サザンメソディスト大に敗れて2敗を喫してしまいましたが、後半4連勝でレギュラーシーズンを終え、CFPファイナルランキングではノートルダム大を交わして10位にランクインし、とうとう悲願だったプレーオフ進出を決めたのです。

そして第10シードとして挑んだプレーオフで、ベックは真のヒーローとなります。

ファーストラウンドではテキサスA&M大、そしてコットンボウルでは前年王者のオハイオ州立大を次々と撃破し準決勝戦に駒を進めると、準決勝戦だったミシシッピ大とのフィエスタボウルで、語り草になるシーズンを決めると言ってもいいほどのドライブを見せます。

27対23でリードされた展開で迎えた試合残り時間3分余りという場面。FGでは追いつけず、TDが絶対に必要という状況下で彼はチームメイトを鼓舞し奇跡のためのドライブを繰り出します。そして最後は自ら3ヤードを走って逆転のTDを決め、31対27で勝利。マイアミ大を23年ぶりの全米王座決定戦へと導いたのでした。

この活躍により、ベックの評価は再び上昇しており、今春のNFLドラフトでも彼の名前がどこかで呼ばれることはほぼ確実だと言えそうです。彼の「再起」はプロの世界へと繋がろうとしてるわけです。

しかし当然その前にまだやるべき仕事が残されています。マイアミ大が2001年度以来の全米優勝を果たすために、必ずしもベックがヒーローになる必要はありません。しかし、勝負を決める状況になった時、ベックの存在感や経験が必要になる時が来るはずです。それをこの大舞台で見ることができるかどうか。彼への注目度は是が非でも高くなるのです。


メンドーサとベック。一方は「誰にも期待されなかった男」、もう一方は「一度すべてを失った男」。どちらも現代のカレッジフットボールが誇る「トランスファーポータル」というセカンドチャンスを掴み、この頂上決戦へと辿り着きました。

メンドーサが母に捧げる勝利を掴むのか、それともベックが完璧なリベンジを完遂するのか。1月19日、全米が注目するフィールドには、単なる勝敗を超えた「人生の逆転劇」が待っているのです。

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