いよいよ2020年度のカレッジフットボールシーズン開幕まで2週間となりました!
・・・と、いつもならば心躍るところなのですが、言わずとしれたコロナウイルスの影響でそんな気分になれないのが正直なところです。やはりBig TenカンファレンスとPac-12カンファレンスが参戦しないということで、オハイオ州立大、ミシガン大、ペンシルバニア州立大、ワシントン大、サザンカリフォルニア大、オレゴン大などの大御所たちのプレーを見ることが出来なくなってしまい興味が削がれてしまったのは否定できません。
しかしそれよりもまず、全世界でコロナウイルスを未だコントロール出来ていない中でカレッジフットボール開催を強行しようとしているカンファレンスがまだあるところに正直興ざめしてしまいます。当然このようなサイトを運営している人間ですからカレッジフットボールを見たいという気持ちはあるのですが、果たして今このスポーツを行う必要があるのだろうか、と思うのが率直な感想です。
諦めたカンファレンス、諦めないカンファレンス
今年3月にコロナウイルスの蔓延によって全てのNCAA(全米大学体育協会)スポーツ開催が中止になりました。この時は未知なるウイルスにどう対処していいか分からないという点からこの決断に至ったわけですが、あれから5ヶ月たった今、大学スポーツの現状はそれに酷似した状態となっています。
NCAA1部から3部まで全ての「チャンピオンシップスポーツ」はNCAAならびに各カンファレンスの決断によって今秋開催を見送ることになりました。今唯一秋シーズン開幕を目指しているのはNCAA1部でも上位に位置されるフットボールボウルサブディビジョン(FBS)に所属するチームたちで、更に前述したようにBig Tenカンファレンス、Pac-12カンファレンスに加えミッドアメリカンカンファレンス(MAC)、マウンテンウエストカンファレンス(MWC)の4つのカンファレンスを除く6つのFBSカンファレンスのみとなりました。
開幕へとひた走るFBSカンファレンス
・アトランティックコーストカンファレンス(ACC)
・Big 12カンファレンス
・サウスイースタンカンファレンス(SEC)
・アメリカンアスレティックカンファレンス(AAC)
・カンファレンスUSA
・サンベルトカンファレンス
そもそもNCAAが秋スポーツ開催を中止したのにも関わらずなぜFBSカンファレンスチームだけその影響が及んでいなのでしょうか?それにはNCAAとそれらのカンファレンス群との微妙な力関係が影響しているからです。
「チャンピオンシップスポーツ」とは?
先にも述べたとおりNCAAは「チャンピオンシップスポーツ」の不開催を指示しました。ではこの「チャンピオンシップスポーツ」とは何なのでしょうか?
簡単に言ってしまえばこれはFBSフットボール以外のスポーツ全てのことを指す言葉です。ではなぜこのような区別が生まれたのでしょうか?それには少しNCAAの歩みを紐解く必要があります。
NCAAの設立とカレッジフットボールの発展
NCAAが設立されたのは1910年のことですが、この設立の背景にはフットボールが大きく関わっています。それまでのカレッジフットボールには統一されたルールはなく、選手資格の設定も曖昧であり、さらにはそれらの影響で試合では死人を出すほどの大変危険なスポーツとして認識されていました。あわやカレッジフットボールが廃止されるかもしれないという状況にまで至りましたが、それを解決するために設立されたのがNCAAだったのです。
以来NCAAは各スポーツのルール制定、選手の出場資格の管理、そしてルールを犯した場合の制裁などを一元管理する団体として機能していくようになります。そしてカレッジフットボールは以降その認知度を急激に高め、アメリカにおいてプロリーグよりも先に国民に親しまれるスポーツへと成長しました。
カレッジフットボールが他の大学スポーツと大きく違うものにレギュラーシーズン後に行われるボウルゲームの存在があります。カレッジ界で最初のボウルゲームとなったのがローズボウルでしたが、この開催初年度が1922年(その前身は1902年に開催)。以降カレッジフットボールのポストシーズンゲームは地域活性化に大きく役立つ興行となっていきます。
NCAAはこのボウルゲームに関わることはありませんでした。それはこのボウルゲームはレギュラーシーズン後に行われる「興行」であるという位置付けがあったからであり、これは大学スポーツの管轄外で行われる特殊なイベントであるとされたからです。
そして1950年代からこのボウルゲームの終了時に誰が全米チャンピオンなのかを投票する流れができあがっていきますが、これは主に記者やコーチの投票によるもので、全米チャンピオン=NCAAが定めたチャンピオンという構図は存在しませんでした。
ディビジョン制度の導入と1部の分割
カレッジフットボールとNCAAは年を追うごとに規模を拡大していきます。その結果NCAAに加盟する大学は増え続けましたが、飽和状態だった業界を整理するために1973年にNCAAはディビジョン制度を導入。これにより大学チームの規模に基づいてNCAAに所属している大学は1部から3部に振り分けられることになります。
そして1978年にはNCAAでも最上位に位置さづけされていた1部が更に2つに分割され、「1部A(Division 1-A)」と「1部AA(Division 1-AA)」という名称が付けられました。この区分けはフットボールのみに採用されたもので、1部Aに所属したのはカレッジフットボールに力を入れていたチーム、それ以外のチームが1部AAに振り分けられました。この時点で1部Aと1部AAのレベルには隔たりが生まれたわけです。
トーナメント vs ボウルゲーム
そして同年にNCAAは1部AA(後のFCS/フットボールチャンピオンシップサブディビジョン)のナショナルチャンピオンを決定するシステムとしてポストシーズンのトーナメントを導入。これに勝ち抜いたチームをNCAAが定める優勝チームとしたのです。
これに対し1部Aにはこのようなシステムを敷くことはしませんでした。なぜならばこのディビジョンに所属するチームたちは既にポストシーズンにボウルゲームに招待されるというトラディションが出来上がっており、トーナメント方式の導入はこのトラディションをぶち壊すことを意味していたからです。既に商業イベントとして確立されていたボウルゲームは大学、主催側、そして開催地のビジネスが利権のために深く絡み合っており、これを断ち切る力などNCAAには無かったのです。
これによって1部AAのフットボールを含めその他全てのNCAA所属大学スポーツがNCAA主催による「チャンピオンシップゲーム」を経て全米優勝チームを決めるのに対し、1部Aフットボールだけがボウルゲームを経て記者の投票により全米優勝チームを決めるという形が成立します。つまり「チャンピオンシップスポーツ」とはNCAAがその優勝チームを定めるスポーツ(1部から3部共通)ということなわけです。逆を言えばFBS(旧1部A)の優勝チームはNCAAが定めたチャンピオンではないということになります。
ディビジョン1部A(FBS)の聖域化
このような背景がありアメリカにおいて大学アメフト、特にNCAA1部Aフットボールのポピュラリティはぐんぐん上がっていくのですが、それに拍車をかけることが1980年代に起こります。
家庭でのテレビ普及率が上がるにつれてカレッジフットボールの試合もテレビ放映される数が徐々に増えていきました。当時この放映権を一括管理していたのがNCAAであり、彼らはこのおかげで莫大な利益を得ていたといいます。そこに立ちはだかったのがオクラホマ大とジョージア大。彼らはNCAAのこの行為は独占禁止法(シャーマン法)に抵触するとしてNCAAを提訴。
この法廷バトルは最高裁にまでもつれ込みますが結局NCAAが敗訴。この事によりテレビの放映権が各大学に移ることになりますが、この放映権の管理を各大学は所属するカンファレンスに託すことになります。これによりテレビ放映されるようなチームを持つカンファレンスの発言力が格段に上がることになります。
もともとこの訴訟は、テレビの普及によってスタジアムに足を運ぶファンの数が減りそれが大学自体の収入に悪影響を及ぼすという大学側の危惧から生まれました。そしてこの敗訴によりNCAAの影響力が微妙に変化し、テレビ放映権を得た1部Aカンファレンスはマネーパワーを拡大。お金が集まるところに権力が集まるというどこかで聞いたような構造が出来上がっていきます。
こうして1部Aのフットボールは聖域化していったのです。
現在カレッジフットボールはアメリカのスポーツビジネスにおいて他のプロスポーツに負けないくらいポテンシャルのある市場となりました。そこでは考えられないくらいの大金が動き、そのお陰で大学は巨額の利を得ますし、また大学キャンパスがある街は試合が開催されるお陰で潤うことになります。特に今で言うFBSカンファレンス群内でも上位グループとされる「パワー5」カンファレンス(ACC、Big 12、Big Ten、Pac-12、SEC)はアメフト部ならびに男子バスケット部から得る収入で大学がまわっているという現状もあります。とくにそれは南部において顕著です。
それだけの力を持ってしまったFBSにNCAAは開催の是非を問うことは出来なくなってしまい、それが今回のようにNCAA1部から3部の全秋スポーツ開催見合わせという決定にFBSを含むことが出来なかったのです。
しかしその一方でNCAAは選手のプレー資格やチームの規則違反などにはディビジョンに関係なく目を光らせており、違反があれば容赦なく鉄槌を下すという非常にねじれた構造が生まれているのです。これは今に始まったことではありませんが、コロナ禍でシーズン開催するかどうかという議論が高まる中でこの不思議な現象がさらにクローズアップされることになったのでした。