NCAA一部、いわゆるフットボールボウルサブディビジョン(FBS)はカレッジフットボールの頂点に立つリーグの集まりです。その中でも近年は「パワー5」カンファレンスと「グループオブ5」カンファレンスとで格付けされています。「パワー5」とはアトランティックコーストカンファンレス(ACC)、Big Tenカンファレンス、Big 12カンファレンス、Pac-12カンファレンス、サウスイースタンカンファレンス(SEC)の5カンファレンスを指します。その他の「中堅」とされるチームが所属するカンファレンスをまとめて「グループオブ5」、要するに「パワー5じゃない奴ら」というラベルを貼っています。
選手達は一度進学する大学を決めて入学したら転校でもしない限り3年から5年間の間同じチームに居続けることになります。一方コーチたちはと言えば一概に選手達と同じとはいえません。
「パワー5」のチームの監督になることが出来れば、「パワー5」の中でもさらに強豪とされるチームからお誘いが無い限りその監督の座を出来るだけ長く守りたいと思うでしょう。一方「グループオブ5」のチームの監督であれば、頑張ってチームを強くして名を挙げ、いずれは「パワー5」の監督にヘッドハントされるのを夢見ているに違いありません。
そのようにして毎年のように監督が辞めさせられては新しい監督がまた別のところから来たり、「グループオブ5」で大成功を収めたチームではその手腕を買われ監督が「パワー5」チームに引き抜かれていく、という事も多々あるのです。
一度辞めた後再び同じチームに復帰した監督達
普通監督が辞めていけば、惜しまれつつ辞めたとしても、再びその監督が同じチームに復帰する事はあまりありません。しかし辞め方がどうであれ、昔去っていった監督が時を経て再び同じチームに戻ってくるというケースも稀ではありますが、あるにはあります。
今回はそんな「一度辞めたのにまた同じチームに戻ってきた」珍しい監督さんたちを紹介したいと思います。
ビル・シュナイダー(カンザス州立大)
現在77歳のビル・シュナイダー(Bill Snyder)監督は1989年から2005年までカンザス州立大を率い、2005年度シーズンを最後にコーチングから引退していました。
1989年にシュナイダー監督が引き継いだカンザス州立大は、1986年から1988年まで続いた27試合連続敗戦記録を樹立した、カレッジフットボール界でもお荷物的存在でした。そんな誰も引き受けたがらないようなチームをシュナイダー監督は瞬く間に勝利を狙えるチームに変貌させ、二桁勝利シーズン7度、Big 12カンファレンス優勝1度(2003年)、カンファレンスディビジョン優勝4度と、シュナイダー監督のもとカンザス州立大は弱小チームから強豪チームに見事生まれ変わったのです。
2005年度シーズン後に引退して現場を退きましたが、後任のロン・プリンス(Ron Prince)氏が苦戦しチームは下降線を辿っていきます(もっともシュナイダー監督の最後2年も成績は下向きでしたが)。結局3シーズンでプリンス氏は解雇。そしてその後釜としてシュナイダー監督復帰が発表されたのです。
老兵は死なず、とばかりにシュナイダー監督は2009年から現在まで負け越したのは2015年のたった1シーズン。2012年には再びカンファレンスタイトルを獲得し、2017年現在も現役を続けています。あのオクラホマ大の名将、バリー・スウィッツアー(Barry Switzer)氏に「今世紀最高の監督」と言わしめたシュナイダー監督。彼のような「古き良き時代」を知る監督がまだ現役でいてくれる事はカレッジフットボールファンとしては嬉しい限りです。
ボビー・ペトリノ(ルイビル大)
ルイビル大のボビー・ペトリノ(Bobby Petrino)監督も古巣に復帰してきた監督の一人です。彼は2003年から4年間ルイビル大にヘッドコーチとして就任しました。その間カンファレンスタイトルを2度(2004年にカンファレンスUSAで、2006年にBig Eastカンファレンスで)獲得。4年間の通算戦績は41勝9敗。この手腕を見込んだNFLアトランタファルコンズはペトリノ監督にヘッドコーチのポジションをオファー。もちろんペトリノ監督はこれを受諾しルイビル大を去っていきました。
しかし5年契約の初年度である2007年、3勝10敗と思うようにプロレベルで結果が出ないペトリノ監督はシーズンがまだ終わらない終盤に早くもプロを見限って辞任。丁度その時空きが出ていたアーカンソー大の監督に就任することになります。
ルイビル大とファルコンズを飛び出していった経緯からペトリノ監督はその好感度を落としますが、カレッジフットボール界に戻ってきた彼は水を得た魚のように再び手腕を発揮し、2010年と2011年は二桁勝利を獲得。2011年度の最終ランキングは全米5位まであげてきました。しかしこのシーズン後、彼がチーム関係者と不倫関係にあった事が明るみになり、これが原因で解雇になってしまいます。
2013年にウエスタンケンタッキー大のヘッドコーチに就任して8勝4敗という上々の成績を残すと、シーズン後当時ルイビル大の監督だったチャーリー・ストロング(Charlie Strong/現サウスフロリダ大監督)監督がテキサス大の監督に就任する為にルイビル大を去り、そのポジションに空きが出ていました。そして言わずもがな、ペトリノ氏が7年のときを経て再びルイビル大に帰ってきたのです。
ただルイビル大は2016年こそチーム史上初となるハイズマントロフィー受賞者を輩出(ラマー・ジャクソン)しますが、ペトリノ監督の第一次政権の頃のような成功を収められずにいます。2012年度以来のカンファレンスタイトルを取ることが出来れば問題続きのペトリノ監督を雇った甲斐があったとルイビル大は言えるようになるでしょう。
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ランディ・イーゼル(コネチカット大)
コネチカット大といえば男子・女子バスケ部で超有名ですが、フットボール部で言えばランディ・イーゼル(Randy Edsall)監督は良くも悪くもそれなりの印象をファンに植え付けてくれました。1999年から2010年までの11年間イーゼル監督はコネチカット大を率いてきましたが、この間大学はNCAAディビジョンIAA(今で言うFCS)からディビジョンIA(FBS)に昇格した(2004年、Big Eastカンファレンス)ことが大きな転機でした。それまでコネチカット大フットボール部は沢山あるIAAチームの一つでしかありませんでしたが、2003年に9勝3敗という好成績を残し翌年にIAに昇格。そして2007年には念願のカンファレンスタイトルを獲得すると2010年にも2度目のタイトルを奪取。この年はフィエスタボウルにも出場し、昔の弱小のイメージは一掃されました。
この手柄を認められ、イーゼル監督はFBSでもさらに上に格付けされるBig Tenカンファレンスのメリーランド大に引き抜かれます。この際コネチカット大の選手には面と向かってこの転職を伝えず、テキストメッセージのみでの伝達によって選手達は監督がチームを離れていったと知らされます。この手法にはかなりの批判が起き、これによってイーゼル監督はこれまでコネチカット大に貢献してきたことで獲得したファンからの信頼を一気に失うことになります。
メリーランド大では2013年と2014年にギリギリ勝ち越しを決めたものの5年間の戦績は22勝34敗。2015年のシーズン途中で残念ながらメリーランド大はイーゼル監督と袂を分かつ決断を下すのです。
そして2017年。ボブ・ディアコ(Bob Diaco)氏を新年早々解雇したコネチカット大はイーゼル監督に白羽の矢を立て、何も無いところからFBSチームにまで育て上げたあの頃の勢いをと再び彼にチームを託すことになったのです。
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ただイーゼル監督はコネチカット大フットボール部に大いに貢献したとはいえ、同校での通算戦績は70勝63敗、どのシーズンのファイナルランキングにもランクされた事は無く、ランクチームとの対戦成績は1勝28敗、二桁勝利シーズンはゼロ、そしてこれと言って記憶に残るゲームもありません。「昔取った杵柄」というだけでイーゼル監督を再び起用したコネチカット大に未来はあるでしょうか?
マーク・ウィプル(マサチューセッツ大)
マーク・ウィプル(Mark Whipple)監督は1998年から2003年までの間マサチューセッツ大で指揮を執りました。当時ディビジョンIAAだったマサチューセッツ大では初年度にナショナルチャンピオンに輝き、その翌年にはカンファレンスタイトルを獲得するとプレーオフでは準々決勝まで駒を進めます。そして2003年にも再びカンファレンスで優勝するなどマサチューセッツ大をIAAでの強豪チームに育て上げました。
が、2004年にNFLピッツバーグスティーラーズのQBコーチに就任する為にチームを去るとそこからフィラデルフィアイーグルス、クリーブランドブラウンズなどでコーチを務めます。
そして2014年に11年振りにマサチューセッツ大に復帰。この年マサチューセッツ大はFCSからFBSへと昇格しミッドアメリカンカンファレンスに所属し、2016年には独立校としてどのカンファレンスにも属さないことを選びます。この3年間、ウィプル監督の通算成績は8勝28敗。明らかにかつてのように白星を重ねる事が出来ずにいます。このままだとウィプル監督の第二次政権も長くは持たないでしょう。
マイク・ライリー(オレゴン州立大)
現ネブラスカ大監督であるマイク・ライリー(Mike Riley)監督ですが、彼はかつて2度オレゴン州立大の監督を務めたことがあります。
ライリー監督のオレゴン州立大での第一次政権は1997年と1998年の2年間でした。この2年間ではどちらのシーズンでも負け越し全くいいところがありませんでしたが、NFLサンディエゴチャージャーズが何故か(?)ライリー監督をヘッドハントし彼はオレゴン州立大を去っていきます。が、サンディエゴでは3年しか持たず2001年に解雇されてしまいます。そしてその2年後の2003年、ライリー監督は再びオレゴン州立大から声がかかり、再びビーバーズの指揮を執ることになりました。
前述のウィプル監督と違い、ライリー監督は第二次政権でのオレゴン州立大チームの方がそれなりの成績を残しています。カンファレンスタイトルは無かったものの10勝チームが1度、9勝シーズンが3度、二次政権での通算戦績は85勝66敗とし「中の上」的なチームを毎年世に送り出してきました。
結局彼は2015年にネブラスカ大の新コーチに就任。オレゴン州立大を離れてしまいました。このネブラスカ大のライリー監督の起用はある程度のサプライズを呼び起こしました。というのも古豪ネブラスカ大の新コーチとしてはオレゴン州立大で「中の上」レベルの成功しか果たせなかったライリー監督が適任なのかと言う議論が起こったからです。
さて、このライリー監督、三度目の正直とばかりに三たびオレゴン州立大に復帰することがあるでしょうか。
クリス・アルト(ネバダ大)
同一チームで2度監督を務めるというのは稀なケースであるというのはもうお分かりいただけたと思いますが、なんとネバダ大のクリス・アルト(Chris Ault)監督は3度もチームの監督に復帰した経験があります。
ネバダ大での最初のアルト政権は1976年から1992年の17年間続きました。この間ネバダ大は5度のカンファレンスタイトルを獲得。しかもアルト氏は1986年から体育局長も兼任しました。1993年に一度コーチングを退きますが、その翌年の1994年に再びヘッドコーチの椅子に復帰。そして1995年には体育局長の職に専念するためコーチ業から引退することになりました。
そして2004年、当時のヘッドコーチ、クリス・トーメイ(Chris Tormey)氏をアルト氏自身が体育局長の権限で解雇するとその数日後に自らがチームの再建に乗り出すと現場復帰。体育局長を辞任しフットボール部のコーチとして自らチーム再建の担い手となったのです。
第三次アルト政権下では2005年と2010年にウエスタンアスレティックカンファレンスのタイトルを獲得もしました。また2005年にはアルト監督発案の「ピストルオフェンス」が世にデビュー。これが2005年のシーズン好調のきっかけにもなったのです。またボウルゲームにも8度出場し、「出戻り」コーチとしては素晴らしい成績を残したのでした。
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そして2012年、このシーズン終了後に再びコーチ業から引退する事を表明。おそらく彼が再びネバダ大に戻ることはないでしょうが、現在イタリアのプロアメフトチームの監督を務めている事を考えると、ネバダ大復帰の可能性はゼロでは無いのかもしれません。
【参考】The Score