12月29日未明、ブリガムヤング大の元監督、ラヴェル・エドワーズ(LaVell Edwards)氏が亡くなられました。86歳でした。
エドワーズ氏の奥様によるとクリスマスイブに転んで腰の骨を折り、それが原因で亡くなられたそうです。
ブリガムヤング大で29年間もの間指揮を取ったエドワーズ氏は通算257勝を挙げました。1972年にエドワーズ氏がブリガムヤング大にやってくるまでの49年間のチームの総勝利数が173勝だった事を考えるといかにエドワーズ氏がブリガムヤング大で成功を収めたかが分かると思います。
257勝という数字はディビジョン1部では7位という記録。そして同一チームでの勝利数と言う事になればペンシルバニア州立大のジョー・パターノ(Joe Paterno、故人)氏の409勝、フロリダ州立大のボビー・バウデン(Bobby Bowden、引退)氏の304勝に次ぎ第3位の記録ということになります。
29年間でボウルゲームに出場したのは22回。カンファレンスタイトルを奪取(単独、同率を含む)した回数は20回。そして1984年にはブリガムヤング大唯一となる全米チャンプにも輝きました。ちなみに現在でいう「パワー5」以外のチームが最後にナショナルタイトルを獲得したのがこの年のブリガムヤング大でした。
コーチオブザイヤーに選ばれたのも2度(1979年と1984年)。29年間で負け越したのは1973年の1シーズンだけ。そして後にも先にもブリガムヤング大出身で唯一のハイズマントロフィー受賞者となったQBタイ・デトマー(Ty Detmer、1990年)をコーチした人物でもありました。34人にも上るオールアメリカンプレーヤーを輩出し、デトマー以外にもジム・マクマホン(Jim McMahon)、スティーブ・ヤング(Steve Young)、スティーブ・サーキジアン(Steve Sarkisian)といった名QBも世に送り出しています。
それらの功績が認められ2004年にはカレッジフットボールの殿堂入りも果たしました。
しかし彼が「レジェンド」として扱われるのはブリガムヤング大で残してきた数々の記録だけではありません。それは彼が人間として非常に尊敬に値する人物であったからに他ありません。
カレッジフットボール界はまた一人「トゥルーレジェンド」を失うことになったのでした。