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元ジョージア大監督ドゥーリー氏の名前が・・・

元ジョージア大監督ドゥーリー氏の名前が・・・

先月ジョージア大は元監督ならびに体育局長であるレジェンド、ヴィンス・ドゥーリー(Vince Dooley)氏を称えるために、自身のホームスタジアムであるサンフォードスタジアムのインフィールドを彼の名前を冠した「ドゥーリーフィールド」と名付けることにしたそうです。

大学運営部の承認を得られれば、ジョージア大の来るシーズン開幕戦であるマレー州立大の試合で命名式が行われる予定です。

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ベースボール・マガジン社 (編集)

ドゥーリー氏は1964年から1988までの25年間ジョージア大に監督として君臨。1980年にはチーム最後となる全米制覇を達成。25年間での戦績は201勝77敗でこれはチーム歴代最多勝利記録となっています。また1979年から2004年までは大学の体育局長(Athletic Director=AD)を務め、長くジョージア大に関わってきた人物。地元ファンからは最大級の敬意を集めるレジェンドです。ですからようやくこのような形でドゥーリー氏を称えることが出来ることに地元も沸いています。

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1982年当時のドゥーリー氏

そしてそのことに喜びのコメントを寄せているのはファンだけではありません。

現役時代ドゥーリー氏に師事し、ジョージア大フットボール部史上最高の選手とも謳われる名RB、ハーシェル・ウォーカー(Herschel Walker)氏も恩師への最大級の名誉に胸を躍らせています。

「ジョージア大並びにジョージア大フットボール部にとってこんなに素晴らしい日はありません。コーチドゥーリーは私にとってフットボール選手としてだけでなくその他の場面でも良き指導者であります。コーチドゥーリー、おめでとうございます。あなたはこの栄誉を与えられるにふさわしい人物です。」

先にも紹介した1980年のナショナルチャンピオン時、ウォーカー氏は1年生でした。鳴り物入りで入学したジョージア大では1年生ながら先発QBを任されるようになり、ノートルダム大と対戦した、事実上のナショナルチャンピオンシップゲームとなったシュガーボウルでも肩を脱臼しながらも36回のキャリーで150ヤードを足で稼ぎ勝利に貢献。チームは見事12勝無敗で全米王者に輝いたのです。ウォーカー氏自身はこの年1616ヤードも走り(当時のフレッシュマンレコード)、のち3年間で5259ヤードという驚異的な数字を残し、3年生時の1982年にはハイズマントロフィーを受賞しました。

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実は1980年当時、世間には1年生は試合に出場すべきでないという風潮が流れていました。

以前までは1年生に試合出場資格は与えられておらず、それが1972年に制定されたルールで改善されていました。

しかし当時のBig Tenカンファレンスコミッショナーのジム・デレイニー氏は学業を優先するために1年生は勉強に集中し試合に出場する必要はないという持論を展開し、以前のルールを復活させようとしていました。「準備の年(Year of Readiness)」という言葉が飛び交い、再び1年生が自動的に試合に出場できなくなるかもしれないという雰囲気があったのです。

それに異を唱えたのがドゥーリー氏でした。

確かに当時1年生時からプレーする選手というのは今に比べて皆無でした。それは体が出来上がっていないということ、そしてテクニックが高校レベルと大学レベルでは格段の差があったこと。これらの壁を乗り越えるには最低1年間の準備期間は居る、というのが普通の考えでした。

そんな中ウォーカー氏のようなルーキーは稀有な存在だったのです。

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1980年当時のドゥーリー氏とウォーカー氏

当時の状況をドゥーリー氏はこう振り返っています。

「当時私達のチームは強かった。そんな時やってきたハーシェルですが、すでに彼の名前は高校時代から有名になっていた。だから在校生、特にディフェンス陣たちは彼に一発かませてやろうと考えていたのです。練習初日、チームの中でも一際暴れん坊だったDL選手がボールキャリアだったハーシェルにものすごいタックルを食らわせました。しかし私はその後の彼のリアクションに感心したのです。

「ハーシェルはタックルされた後ボールを拾い上げ、何事もなかったかのようにハドルへと戻っていきました。それ以来彼は1年生ながらチームメートからリスペクトされるようになりました。身体的には何の文句もない出来上がった選手でしたが、これを見てメンタル的にも強い選手だと皆分かったからです。私は彼が凄い選手になることは見抜いていました。ただわからなかったのはどれだけ早い段階でそういった選手になるかということでした。」

そして前述の通りその段階は1年生時に早速やって来たのです。

シーズン初戦のテネシー大戦、ウォーカー氏は3番手のRBでした。そして先輩RBが苦戦するのを見たドゥーリー氏はハーフタイムにオフェンシブコーディネーターにウォーカー氏で行くと告げます。その時彼はOCに「ハーシェルにボールをキャリーさせることに臆するな」と言ったそうです。

その時からすでにドゥーリー氏はウォーカー氏の才能を見抜き、チームを彼に託そうとしていたんですね。その眼力も素晴らしいです。

25年間で1度のナショナルタイトルに6度のSECタイトルを獲得したドゥーリー氏率いるジョージア大は当時皆が対戦を嫌がるチームでした。底知れぬタフネス。統制されたチーム力。それこそ今のアラバマ大のような存在だったのです。ジョージア大フットボール史上最高の時代を築いたドゥーリー氏を知るファンたちは、まさにその頃の強かったジョージア大を今も夢見ているわけです。

ハーシェル・ウォーカーという、アメフトの歴史を代表する選手に目をかけ育て上げたドゥーリー氏。今年86歳となる彼にとって、自分の名前がホームフィールドに永遠に刻まれるということはこれ以上ない名誉なことでしょうし、卒業生やファンたちにとっても名誉なことでしょうね。

余談:数年前、幸運にもウォーカー氏に会う機会がありました。当時すでに50代半ばでしたがそれを全く感じさせない強靭な体つきでした。やっぱり普通じゃない感じが漂っていましたね(笑)。

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