1990年にはコロラド大(APが選出)とジョージア工科大(UPの後継者であるUPIが選出)、1991年にはマイアミ大(AP)とワシントン大(UPI)というように2年連続してナショナルチャンピオンが2チーム選出されるという状況に陥ったカレッジフットボール界では、絶対的なナショナルチャンピオンを決められる方法を編み出そうという動きが出始めます。そして生まれたのがボウルコーリション(Bowl Coalition)です。
1992年に導入されたこのシステムは単純にレギュラーシーズン後のランキングで1位と2位のチームをボウルゲームで直接対決させて雌雄を決することができるようにしようというものでした。
この共同体(Coalition)は当時の5つの主要カンファレンス(SEC、Big 8、サウスウエストカンファレンス、ACC、Big Eastカンファレンス)、独立校であるノートルダム大、そして7つのメジャーボウルゲーム(オレンジボウル、シュガーボウル、コットンボウル、フィエスタボウル、ゲーターボウル、サンボウル、ブロックバスターボウル)で成り立っていました。
この共同体での協定では、上記の5つのカンファレンスの優勝チームとそれ以外からトップ5チーム(At Largeと呼ばれる)の合計10チームに前述のボウルゲーム出場権が与えられるというもので、At Large枠にはBig 8、サウスウエスト、ACC、Big Eastの準優勝チームに加えPac-10カンファレンスの準優勝チーム、さらにSECの3位チーム(1992年にSECはカンファレンスタイトルゲームを開催しており、この試合の敗者はシトラスボウル出場が自動的に決定していたため)、そしてノートルダム大が選ばれるようになっていました。
7つのボウルゲームの中でも特にオレンジボウル、シュガーボウル、コットンボウル、フィエスタボウルは最高位に定められていましたが、これまではこれらのボウルゲームには以前にも紹介したように前もってどのカンファレンスのチームが招待されるか決められていました。しかしこの共同体の協定では全米ランキング1位と2位を戦わせるために場合によってはこの「約束事」を破棄することが盛り込まれていました。
そしてナショナルタイトルゲームに進出するチームを選出するためのランキングには、APランキングとUSAトゥデイ/コーチランキング(UP/UPIの後継者)を合わせた「ボウルポール」という専用のランキングが用いられました。
しかしここまで読んで不可解に思われた方もいらっしゃると思いますが、このボウルコーリションの最大の欠点はBig TenカンファレンスとPac-10(のちのPac-12)カンファレンスの優勝チームを共同体に引き入れることができなかったことでした。なぜならこれらのカンファレンスの優勝チームは歴史あるローズボウルにて対戦することが伝統となっており、両カンファレンスおよびローズボウル運営者がこの伝統を手放したがらなかったからです。また当時契約していた米三大ネットワークの一つ、ABCとの放映権の問題も絡んでいたと言います。
ボウルコーリション初年度となった1992年度シーズンはBig East王者のマイアミ大(ランク1位)とSEC王者のアラバマ大(ランク2位)がシュガーボウルで対戦。満場一致で「ナショナルタイトルゲーム」をお膳立てすることができたこの新システムはまずまずのスタートを切ったと思われました。
しかしその翌年となる1993年度シーズン、シーズン終了時に無敗だったネブラスカ大とウエストバージニア大はコーチランキングではネブラスカ大1位、ウエストバージニア大2位となりましたが、一方のAPランキングではフロリダ州立大が1位でネブラスカ大が2位となり、結局「ボウルポール」では完全無敗のウエストバージニア大がネブラスカ大と対戦できないという事態に陥ります。
さらにこの協定はいわゆるミッドメジャー(中堅校)から完全にナショナルチャンピオンの可能性を奪うという、彼らにとっては「デスセンテンス」でもありました。それまでもミッドメジャーチームが全米の頂点に立つということは滅多にありませんでしたが、それでも1984年にはウエスタンアスレティックカンファレンス(WAC、2013年にフットボールを廃止)所属のブリガムヤング大がナショナルチャンピオンに選ばれるという偉業を達成しており、それまではミッドメジャーにとっては狭き門であっても全米優勝への可能性は残されていたのです。
そんなボウルコーリションの生涯は短くたった3年でこのシステムは見直しを余儀なくされます。その引き金になったのは上記の問題に加え、1994年に共同体のカンファレンスの一つだったサウスウエストカンファレンスが解体してしまったということ、そして自動的に出場権が与えられていたノートルダム大の不調が挙げられました。そしてその見直し案として新たに立ち上げられたのがボウルアライアンスでした。
1992年から1994年までのナショナルチャンピオン
年度 | チャンピオン | 選出団体 |
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1992 | アラバマ大 | コンセンサス |
【ボウルコーリションナショナルチャンピオンシップゲーム】 アラバマ大 34, マイアミ大 13(シュガーボウル) |
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1993 | フロリダ州立大 | コンセンサス |
【ボウルコーリションナショナルチャンピオンシップゲーム】 フロリダ州立大 18, ネブラスカ大 16(オレンジボウル) |
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1994 | ネブラスカ大 | コンセンサス |
【ボウルコーリションナショナルチャンピオンシップゲーム】 ネブラスカ大 24, マイアミ大 17(オレンジボウル) |
次項:ボウルアライアンスヘ