ナショナルチャンピオンのコンセプトはカレッジフットボールが始まった19世紀後半から存在してはいましたが、それを決めていたのは複数の個人や出版者達でした。ですから統一されたシステムというのは存在しておらず、それにより当初から選ぶシステムによって全米ナンバーワンチームが複数乱立するという自体もしばしば起きました。過去の記録で同じ年に何チームもナショナルチャンピオンを見つけることが出来るのはその為です。
それらの決め方は往々にして主観的でしたが独自の計算式によってナショナルチャンピオンを弾き出そうという試みもされました。またそれとは別に投票によってしっかりと順位をつけようとした動きもありました。それが今で言うランキングであったのですが、それも複数存在しランキングによってチャンピオンが異なるという事態が発生したため、それまでの状況と大して変わることはありませんでした。
下のリストをご覧になると分かるように、カレッジフットボールの創成期はプリンストン大、イェール大、ハーバード大といった「アイビーリーグ(現FCSのカンファレンス)」チームが風靡していました。カレッジフットボールの歴史上最初の試合がプリンストン大対ラトガース大(1869年)であり、また「カレッジフットボールの父」ともいわれるウォルター・カンプ(Walter Camp)氏が選手、そして監督として活躍したのがイェール大だったことからもこれはうなずける話です。今でもアイビーリーグは「アンシャントエイト(古代の8チーム)」と呼ばれることもあり、彼らがカレッジフットボールの礎を築いたのです。
1869年から1935年までのナショナルチャンピオン
| 年度 | チャンピオン |
|---|---|
| 1869 | プリンストン大、ラトガース大 |
| 1870 | プリンストン大 |
| 1871 | - |
| 1872 | プリンストン大 |
| 1873 | プリンストン大 |
| 1874 | ハーバード大、プリンストン大、イェール大 |
| 1875 | コロンビア大、ハーバード大、プリンストン大 |
| 1876 | イェール大 |
| 1877 | プリンストン大、イェール大 |
| 1878 | プリンストン大 |
| 1879 | プリンストン大、イェール大 |
| 1880 | プリンストン大、イェール大 |
| 1881 | プリンストン大、イェール大 |
| 1882 | イェール大 |
| 1883 | イェール大 |
| 1884 | プリンストン大、イェール大 |
| 1885 | プリンストン大 |
| 1886 | プリンストン大、イェール大 |
| 1887 | イェール大 |
| 1888 | イェール大 |
| 1889 | プリンストン大 |
| 1890 | ハーバード大 |
| 1891 | イェール大 |
| 1892 | イェール大 |
| 1893 | プリンストン大、イェール大 |
| 1894 | ペンシルバニア大、プリンストン大、イェール大 |
| 1895 | ペンシルバニア大、イェール大 |
| 1896 | ラフィエット大、プリンストン大 |
| 1897 | ペンシルバニア大、イェール大 |
| 1898 | ハーバード大、プリンストン大 |
| 1899 | ハーバード大、プリンストン大 |
| 1900 | イェール大 |
| 1901 | ハーバード大、ミシガン大、イェール大 |
| 1902 | ミシガン大、イェール大 |
| 1903 | ミシガン大、プリンストン大 |
| 1904 | ミシガン大、ミネソタ大、ペンシルバニア大 |
| 1905 | シカゴ大、イェール大 |
| 1906 | プリンストン大、イェール大 |
| 1907 | イェール大 |
| 1908 | ハーバード大、ルイジアナ州立大、ペンシルバニア大 |
| 1909 | イェール大 |
| 1910 | ハーバード大、ピッツバーグ大 |
| 1911 | ペンシルバニア州立大、プリンストン大 |
| 1912 | ハーバード大、ペンシルバニア州立大 |
| 1913 | アーバン大、シカゴ大、ハーバード大 |
| 1914 | 陸軍士官学校、イリノイ大、テキサス大 |
| 1915 | コーネル大、オクラホマ大、ピッツバーグ大 |
| 1916 | 陸軍士官学校、ピッツバーグ大 |
| 1917 | ジョージア工科大 |
| 1918 | ミシガン大、ピッツバーグ大 |
| 1919 | センター大、ハーバード大、イリノイ大、ノートルダム大、テキサスA&M大 |
| 1920 | カリフォルニア大、ハーバード大、ノートルダム大、プリンストン大、ジョージア大 |
| 1921 | カリフォルニア大、コーネル大、アイオワ大、ラフィエット大、ワシントン&ジェファーソン大、ヴァンダービルト大 |
| 1922 | カリフォルニア大、コーネル大、プリンストン大、ヴァンダービルト大 |
| 1923 | カリフォルニア大、コーネル大、イリノイ大、ミシガン大、イェール大 |
| 1924 | ノートルダム大、ペンシルバニア大 |
| 1925 | アラバマ大、ダートマスカレッジ、ミシガン大 |
| 1926 | アラバマ大、ラフィエット大、ミシガン大、海軍士官学校、 |
| 1927 | ジョージア大、イリノイ大、ノートルダム大、テキサスA&M大、イェール大 |
| 1928 | デトロイト大、ジョージア工科大、サザンカリフォルニア大 |
| 1929 | ノートルダム大、ピッツバーグ大、サザンカリフォルニア大 |
| 1930 | アラバマ大、ノートルダム大 |
| 1931 | ピッツバーグ大、パデュー大、サザンカリフォルニア大 |
| 1932 | コルゲート大、ミシガン大、サザンカリフォルニア大 |
| 1933 | ミシガン大、オハイオ州立大、プリンストン大、サザンカリフォルニア大 |
| 1934 | アラバマ大、ミネソタ大 |
| 1935 | ルイジアナ州立大、ミネソタ大、プリンストン大、サザンメソディスト大、テキサスクリスチャン大 |