「Black Lives Matter」運動は多くのカレッジキャンパスにも広がって、学生アスリートらは持てるチャンネルを行使して自分たちの意見や主張を述べてきました。
古い慣習が残るキャンパスに奴隷時代の名残が存在する場所も少なくありませんが、先日もお伝えしたようにテキサス大でも学生アスリートたちが立ち上がり、大学側に改革を求めました。
その中には同大学で長く親しまれてきたファイトソングである「Eyes of Texas」の演奏禁止、そしてテキサス大フットボール部史上初の黒人選手となったジュリアス・ウィティアー(Julius Whittier)氏の偉業を称えるため彼の名前をホームスタジアムの一部に加えよ、というリクエストが有りました。
そしてこの度大学側はこの要求に対する返事を公表したのです。
Eyes of Texas
まず「Eyes of Texas」ですが、これは現状維持のままでリクエストは却下されました。
「Eyes of Texas」がなぜ今回のリクエストの対象になったかというと、この曲が最初に演奏された1903年のショーで白人が黒人を揶揄する形で顔を黒く塗りつぶして出演したことが理由とされています。
この決定を下した大学の臨時学長ジェイ・ハーツェル氏は在校生や卒業生たちに向けて、「この曲の起源を理解し伝えながら今後も歌い続け、我々のコミュニティを紡ぐ新たなビジョンとして欲しい」とメッセージを送りました。
キャンベル・ウィリアムスフィールド
そしてスタジアムのインフィールドは現在の「ジョー・ジャメイルフィールド」から「キャンベル・ウィリアムスフィールド」に改名されることが明らかになりました。
キャンベルとはアール・キャンベル(Earl Campbell)、ウィリアムスとはリッキー・ウィリアムス(Ricky Williams)であり、二人とも黒人でハイズマントロフィー受賞者でもあります。彼らの業績を讃え、また黒人選手をリスペクトする意味合いも込めて改名されることになったのです。
アール・キャンベル
キャンベル氏は1974年から1977まで同大でRBとしてプレー。1年生時から先発を任された彼はいきなり928ヤードに6TDという数字を叩き出す活躍を見せ、2年生時にはすでにオールアメリカンに選出。3年生時は怪我に泣かされたものの、4年生時には当時全米ナンバーワンラッシャーとなる1744ヤードに19TDを記録してハイズマントロフィーを受賞しました。
ちなみにその年テキサス大は無敗でランキング1位を獲得し最終戦のコットンボウルでノートルダム大と対戦。キャンベル氏は116ランヤードと善戦するも、QBジョー・モンタナ(Joe Montana)氏率いるノートルダム大に38−10と完敗してナショナルタイトルをノートルダム大に譲りました。
大学卒業後は1978年のNFLドラフトで総合1位でヒューストンオイラーズ(現在のテネシータイタンズ)に入団。その後移籍したニューオーリンズセインツ時代も含め5度のプロボウル選出、1978年度の最優秀新人賞、1979年度の最優秀選手賞、3度のNFLラッシュリーダー、プロフットボール殿堂入りを果たすなどアメフト史上指折りのRB選手として活躍しました。
リッキー・ウィリアムス
ウィリアムス氏は1995年から1998年までテキサス大に在籍。キャンベル氏と同じく1年生時からフィーチャーバックとして活躍。4年連続1000ヤード超えという記録は序の口で、3年生時に最優秀RB賞とも言えるドーク・ウォーカー賞を獲得し、ハイズマントロフィーが期待された4年生シーズンは開幕後2試合だけで9TDを含む385ヤードという数字を叩き出しセンセーショナルな開幕を迎えます。
チーム一丸となってウィリアムス氏を後押しする中、彼もそれに応え5試合目と6試合目で脅威の666ヤードを叩き出しシーズン中盤ですでにハイズマントロフィーレースで頭一つ抜きん出ると、今度はそれだけでなく当時20年近く破られていなかった大学生涯最多ランヤード記録(ピッツバーグ大のトニー・ドーセット氏が1976年に樹立した6082ヤード)の更新にも期待がかかりはじめました。
「ラン・リッキー・ラン!」のフレーズが有名となり、全米中のファンがウィリアムス氏の新記録樹立を待ちわびましたが、ライバリーゲームだったテキサスA&M大とのレギュラーシーズン最終戦、ついにこの試合で彼は華麗なる60ヤードのロングTDランを見せつけてNCAA新記録を樹立!
実況のブレント・マスバーガー(Brent Musburger)氏の「Ricky Williams runs to the Hall of Fame!」というフレーズが非常に印象深い位ですが、間違いなくこのプレーがウィリアムス氏のハイズマントロフィー獲得を当確にしました。
結局彼は大学生涯トータルランヤードを6592ヤードとし、また当時の記録ではありますが、大学生涯最多TD数(73)、大学生涯最多得点(452)、最多タイとなる200ヤード超え試合数(12)も塗り替え、「テキサス・トルネード」の異名を持ったウィリアムス氏はテキサス大のフットボール部史に名を刻みました。
ジョー・ジャメイル
その2人の偉大なるテキサス大卒業生の名前がこの度インフィールド名として改名されることになりました。前述の通りこのフィールドには元々「ジョー・ジャメイルフィールド」という名前がついていました。ジョー・ジャメイル(Joe Jamail)氏はテキサス大の卒業生である億万長者弁護士。その彼が母校であるテキサス大に莫大なる寄付金をしたことでそれに敬意を表する形で大学が彼の名前をインフィールド名にしたのです。
そして今回このフィールドが「キャンベル・ウィリアムスフィールド」に改名されるわけですが、実はこれはジャメイル氏遺族(本人は2015年に他界)の発案だったそうです。
ちなみに「ジョー・ジャメイルフィールド」と名付けられたのは1997年のことでしたが、このこけら落としとなったUCLAとの開幕戦でテキサス大はなんと66対3と大敗。これを現場で観戦したジャメイル氏は「How much fxxking money does it take to get my name off the field?(一体いくら払えば私の名前をこのフィールドから消してくれるんだ?)」と嘆いたといいます。
ジュリアス・ウィティアー
そしてチーム初の黒人選手だったジュリアス・ウィティアー氏を称えるというリクエストですが、大学は彼の銅像をスタジアムに設置することを決めたそうです。
白人層が多いテキサス州において黒人選手が応援されるのは「テキサス大でプレーしているから」だけの理由で、フィールド外ではリスペクトされないという訴えから始まった同大学でのこの動きは、若い世代の黒人選手たちが上げた声により実現したもの。それも今回のBLM運動があったからこ達成できたのでしょう。