テキサス大とストロング監督
2016年度シーズン後、テキサス大を3年間率い16勝21敗という成績の後に解雇されたチャーリー・ストロング(Charlie Strong、現サウスフロリダ大)監督。テキサス大という名門校にてこの数字しか残せなかったとあれば、彼の解雇は当然だったという声が大半です。
その3年間ストロング監督指揮下のテキサス大は一度も勝ち越すことが出来ず、3年目にはあのカンザス大戦でも黒星を喫してしまいました。カンザス大から土をつけられたのは実に1938年ぶりのことだったということですから、この敗戦がテキサス大のブランドに泥を塗ったことは明らかでした。
テキサス大時代のチャーリー・ストロング監督
しかし一方でチームを3年で自分色に染めてなおかつ結果がついてくるというのはそう容易く達成できることではありません。確かに2007年にアラバマ大に就任したニック・セイバン(Nick Saban)監督は2009年にナショナルタイトルを獲得しましたし、昨シーズンにジョージア大で2年目のカービー・スマート(Kirby Smart)監督は優勝こそ逃しましたがナショナルタイトルゲームに駒を進めることに成功しています。ただそれは非常に稀なケースであり、通常ならばチームの育成には時間がかかるものです。
例えば1999年にアイオワ大の監督に就任したカーク・フェレンツ(Kirk Ferentz)監督の就任後3年間の成績は11勝24敗でしたし、ジム・ハーボー(Jim Harbaugh、現ミシガン大)監督がスタンフォード大を率いた時も最初はスロースタートでした(3年間で17勝20敗)。これを踏まえれば通常ならばチームを軌道に乗せるには4、5年は必要ではないかと感じます。
実際アイオワ大とスタンフォード大の4年目では両チーム合わせて23勝3敗という素晴らしい数字を残しているのです。
スタンフォード大時代のジム・ハーボー監督。左は現インディアナポリスコルツのアンドリュー・ラック
ひょっとしたらストロング監督のテキサス大での4年目は大きく飛翔したシーズンになっていたかもしれません。もちろんそんなことは今となっては分かるはずもありませんし、テキサス大はトム・ハーマン(Tom Herman)監督、そしてストロング監督はサウスフロリダ大にて次のステップへ突き進んでいるわけですから、ここでこのことを蒸し返す必要もないのですが。
テキサス大だけでなく名門と呼ばれる強豪チームでは、後援者、卒業生、多くのファンたちからの要求は高くなる一方です。しかしフットボールが「州技」とも言えるほどのポピュラリティを誇るテキサス州の旗艦大学であるテキサス大では、周囲が求めるハードルの高さは並ではありません。
例えばストロング監督のテキサス大監督就任が決まった2014年、テキサス大の著名後援者であり、元ミネソタヴァイキングスのオーナーでもあったレッド・マッコムス(Red McCombs)氏は大学がストロング監督を起用したことに対して次のように発言しています。
「チャーリー(ストロング監督)が優れたフットボールコーチであることに疑う余地はない。彼ならポジションコーチ、もしかしたらコーディネーターとしてなら素晴らしい人材なのだろう。しかし現在業界でトップ3と言われる我々テキサス大で監督を務められるような器ではないだろう。」
ストロング監督はテキサス大に赴任する前にはルイビル大でチームを強化し、またそれ以前もフロリダ大のディフェンシブコーディネーターとしてその手腕を発揮させていたので、マッコムス氏のコメントは非常に辛口だと言えます。要するに彼はストロング監督が名門チームを常勝チームとして率いることは出来ないと断言したのです。
ルイビル大での手腕が評価されテキサス大に招聘されるも・・・
もしテキサス大でストロング監督がコーディネーターだったとしたら、マッコムス氏もここまで過激なことを口にすることもなかったのでしょう。確かにテキサス大の監督が背負うプレッシャーや期待度はアイオワ大やスタンフォード大のそれとは比べ物になりません。しかしストロング監督がテキサス大を辞めさせれた理由を考えた時、その残念な戦績だけでなく、彼が黒人監督であったことが何らかのファクターとなったのではないと思わずに入られません。
ちなみにストロング監督はテキサス大で初の黒人監督でした。
極度に少ない黒人監督
どのスポーツでもそうですが、白人と黒人の監督が占める割合を見た時、白人コーチの方が圧倒的に業界を席巻しています。
2018年現在、フットボールボウルサブディビジョン(FBS)には130チーム所属していますが、この内黒人監督は以下の13人しか存在していません。これは全体の1割でしかありません。
- ディノ・バーバーズ(Dino Babers、シラキュース大)
- ジェームス・フランクリン(James Franklin、ペンシルバニア州立大)
- マイク・ジンクス(Mike Jinks、ボウリング州立大)
- デレク・メイソン(Derek Mason、ヴァンダービルト大)
- スコッティー・モントゴメリー(Scottie Montgomery、イーストカロライナ大)
- デヴィッド・ショウ(David Shaw、スタンフォード大)
- ロヴィー・スミス(Lovie Smith、イリノイ大)
- チャーリー・ストロング(Charlie Strong、サウスフロリダ大)
- ケヴィン・サムリン(Kevin Sumlin、アリゾナ大)
- ウィリー・タガート(Willie Taggert、フロリダ州立大)
- フランク・ウィルソン(Frank Wilson、テキサス大サンアントニオ校)
- エヴァレット・ウィザーズ(Everett Withers、テキサス州立大)
- ハーム・エドワーズ(Herm Edwards、アリゾナ州立大)
ストロング監督は幸運にもテキサス大を解雇された直後にサウスフロリダ大の監督に就任を果たし、またテキサスA&M大から解雇されてたケヴィン・サムリン監督もアリゾナ大から白羽の矢が立ちましたが、往々にして解雇された黒人監督が2度目のチャンスを得るためにはまたポジションコーチからやり直さなければならなくなります。もちろん白人監督も解雇されれば同じような道を歩まなければなりませんが、セカンドチャンスを活かせる確率は黒人コーチの方が低いような気がします。
先にも述べたとおりFBS内で黒人監督が占める割合は1割程度です。実際にプレーする選手を見渡すと半分以上が黒人選手であることを考えれば、黒人監督の数字は極端に少数だと言わざるを得ません。
解決策は?
NFLには「ルーニールール」というものがあります。これは新たに監督を雇用する際、少なくとも1人はマイノリティ(つまり黒人)とインタビュー(面接)しなければならないというものです。形骸化しているともいえるこの「ルーニールール」ですが、少なくともプロの世界ではマイノリティコーチの地位向上に務めているという言い訳にはなっています。
一方大学スポーツを統括するNCAA(全米体育協会)は非営利の団体であるために、NFLの「ルーニールール」のような、各大学の雇用形態に影響を及ぼす権力を持ち合わせていません。つまり黒人監督を雇うか雇わないかはそれぞれのチームの決断に委ねるしか無いのです。
それでもNCAAはこの問題に際して以下のような声明を発表しています。
「NCAAはこれに関して2通りの問題提起を行いたいと思う。1つ目はNCAAが各大学に多様性を求め積極的にマイノリティコーチを雇用することを求めること。優れたコーチは様々なバックグラウンドから生まれるものであり、(人種に限らず)優秀な人材を起用しないというのはその大学にとってはむしろ害であるといえる。
「そして2つ目はNCAAがマイノリティの監督候補たちにより多くの機会が与えられるために、彼らにキャリアの成長や育成のクリニックを提供すること。このクリニックでマイノリティコーチやコーディネーターたちがスキルの向上、コネクションの構築、そして世間に進出するチャンスを増やすことを通じて彼らコーチキャリアをアシストしていくことを目的とする。」
このように述べてはいるものの、数字の上では黒人監督雇用の問題はそう簡単に解決していないというのが現状なのです。
もっとも大昔から比べれば状況は向上したと言えないこともありません。
ウィリー・ジェフリーズ(Willie Jeffries)氏が黒人として初めて白人主体の大学に監督として就任したのが1979年(カンザス州のウィチタ州立大)。そしてNCAA1部(現在のFBS)で初めて黒人監督を雇ったのがBig Tenカンファレンスのノースウェスタン大(デニス・グリーン氏、1981年)。人種差別の温床が色濃く残っていた当時にすればこれはかなり大きなニュースになったことでしょう。
(ちなみにウィキペディアによるとジェフリーズ氏はアラバマ大のレジェンドであるポール・ブライアント氏と408勝をグランブリング州立大で挙げた殿堂入り名将であるエディ・ロビンソン氏の双方と対戦したことがある唯一の人物だとか)
まとめ
約40年前から比べれば確かに黒人監督の姿は増えました。しかし強豪・名門と言われるチームにおいてはまだまだその数は全体からしたらほんの一握りなのです。先程上に紹介した黒人監督の中でも、メジャーボウルゲームで戦えるようなチームに所属しているのはペンシルバニア州立大のフランクリン監督とフロリダ州立大のタガート監督、そしてスタンフォード大のショウ監督ぐらいなものです。
才能ある人物ならバックグラウンドを問わないというのはアメリカの良き文化だと思います。そういった文化があるからこそ筆者もアメリカで生活できているわけです。しかしこと人種問題(特に白人と黒人)になると未だ深いギャップがあることを垣間見る度に、この問題が現在も根深く残っているのだと気付かされます。