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歴代ワースト15ヘッドコーチ

歴代ワースト15ヘッドコーチ

5位 レーン・キフィン、テネシー大(2009)

2009年にテネシー大のヘッドコーチに就任したレーン・キフィン(Lane Kiffin)氏でしたが、1年後にはノックスビルを飛び出しUSCのヘッドコーチにくら替えをしたというとんでもない行動を起こした過去を持つ人物です。

チームとしてはキフィン氏のリクルーティングクラスはトップレベルでした。そして彼の2009年シーズンのオフェンスは前年度から比べると格段に向上したのも事実。しかしテネシー大での短期間でNCAAのルール違反を犯したり、他のコーチといざこざを犯したり、必ずしも良い印象を残しませんでした。そんなところにこの退任劇が起きたのです。

もともと西海岸の人物だったキフィン氏はNFLのオークランドレイダース、そしてそれ以前はUSCのアシスタントコーチとしてテネシー大が所属するSECのテリトリーから遠く離れたところにおり、就任時からイマイチなじめない感じが漂っていました。またテネシー大の大御所、フィリップ・フルマー(Phillip Fulmer)氏の後釜ということもあり、キフィン氏のこの騒動が輪をかけて彼の起用が失敗だったということを強調してしまったのでした。


4位  マイク・プライス、アラバマ大(2002)

今でこそ栄華を誇るアラバマ大ですが、少し遡ればこんなヘッドコーチもいたのです。

2002年に当時まだ現在のような圧倒的強さをもっていなかったアラバマ大のヘッドコーチにワシントン州立大のマイク・プライス(Mike Price)氏が就任。しかしプライス氏の凄いところは就任してから解雇されるまで1試合も指揮することがなかったところです。

2002年年明けに就任したその年の春、春期トレーニングが終わった頃プライス氏がフロリダ州で酒乱パーティーを行っていたことが発覚。さらにホテルでは妻以外の女性と一夜を共にしたことも明らかになり、結果1年目のシーズンを迎えることなくアラバマ大から解雇されました。アラバマ大のヘッドコーチの迷走は2007年にニック・セイバン(Nick Saban)氏を射止めるまで続くことになります。

3位 マイク・ヘイウッド、ピッツバーグ大(2010)

残念ながらピッツバーグ大から2人目がランクインです。

2010年12月16日、ピッツバーグ大から正式に就任を要請されそれを受諾したマイク・ヘイウッド(Mike Haywood)氏。当時の体育局長でヘイウッド氏を招聘したスティーブ・ペダーソン氏はヘイウッド氏を「 実直で誠実なヘイウッド氏は我がフットボール部の真のリーダーたる人物です。」と就任会見で賞賛しました。

しかしながらこの会見の2週間後、ヘイウッド氏はドメスティックバイオレンスの疑いで逮捕されてしまいます。保釈金を払った出所した数時間後にはピッツバーグ大から解雇の通達がなされました。

身辺調査などしなかったのでしょうか・・・。

2位  ジョージ・オラリー、ノートルダム大(2001)

4位のマイク・プライス氏が5ヶ月、3位のマイク・ヘイウッド氏が2週間と超短命コーチのリストが続いていますが、2位にランクされたジョージ・オラリー(George O’Leary)氏の就任期間はなんとたったの5日でした。

ジョージア工科大で名声を上げたオラリー氏はカレッジフットボールの最高峰の一つであるノートルダム大のヘッドコーチに任命されました。おそらくコーチングに勤しむ人たちにとっては夢のポジションであることは間違いありませんが、そんなビッグドリームを手にしたオラリー氏のサウスベンドでの滞在期間は1週間と持ちませんでした。

彼を天国から地獄に陥れたのは学歴詐称問題です。

何が起きたかというと彼の履歴書には彼が大学時代に在籍していたニューハンプシャー大ではレターマンとしてプレーしたとされていましたが、実はこれが大ウソだったのです。よくもここまでばれなかったと思いますが、ばれてしまったのが最悪のタイミングだったわけですね。さらに悪いことにその履歴書には修士号をニューヨーク大学ストーニーブルック(実はこのような大学は存在せず、ニューヨーク大学とストーニーブルック大学は全くの別物)で取得したとありましたが、これもまた大ウソ。

ノートルダム大就任を知り彼を妬んだ元チームメイトが暴露したかどうかは分かりませんが、高い学問レベルと倫理でも知られるノートルダム大がこのような詐称コーチを雇い続けるはずがありません。オラリー氏の夢はそれを実感させてくれる時間もないまま夢で終わってしまったのです。

もちろんオラリー氏のコーチキャリアに多大なる傷をつけることになったこの事件ですが、そのようなコーチをしっかりと調べることなく雇ってしまったノートルダム大にとってもこれは恥ずべき失態でした。もう少ししっかり身辺調査をすれば分かりそうなものです。同じことがジョージア工科大やそれ以前のチームにも入れるのですが。

1位 ボビー・ペトリノ、アーカンソー大(2008-2011)

これまで様々なワーストコーチ、とりわけコーチングに関してというよりも大学にとってその雇用が大失敗だった人物たちを紹介してきました。そしてこのリストのナンバーワンに輝いてしまった不名誉なコーチは後にも先にもアーカンソー大のボビー・ペトリノ(Bobby Petrino)氏以外に他ないでしょう。

ペトリノ氏のコーチングの手腕は折り紙付きです。アシスタントコーチ時代、オフェンシブコーティネーターとして活躍したルイビル大、アーバン大、さらにその2チームの間に在籍したNFLミネソタバイキングスではそれぞれのチームのオフェンスの向上に貢献。そして2003年にルイビル大にヘッドコーチとして凱旋します。

ルイビル大でもそのコーチング手腕が衰えることはなく、チームを全米の強豪校にまで押し上げました。しかし就任翌年に密かにアーバン大との接触を図り面接していたことが発覚。結局アーバン大は当時のヘッドコーチ、トミー・タバービル(Tommy Tuberville)氏を保留しペトリノ氏のくら替えの話はなくなったのですが、思えばこの行動はその後のペトリノ氏への黄色信号だったのかもしれません。

2006年に巨額の契約更新を済ますも2007年にはNFLアトランタファルコンズのヘッドコーチに就任するためにルイビル大を去ることとなります。しかしファルコンズでは3勝10敗とまったく振るわず、同時期に空きがでたアーカンソー大のヘッドコーチに就任すべくファルコンズを突如として退団。この際選手たちには直接この決断を伝えず、メモだけ残して去って行ったとされ、これは当時「臆病者のやり方だ」と厳しく非難されました。

そしていよいよアーカンソー大にやってきたペトリノ氏。コーチとしての才能はカレッジフットボールに舞い戻ったことによって再び輝きを取り戻し、強豪ひしめくSECでの4年間の戦績は34勝17敗とし、アーカンソー大にとってはペトリノ氏の招へいは間違いではなかったと安心していたところ・・・。

2012年春に彼はバイク事故を起こすのですが、調査が進むにつれ実はこの事故は不倫旅行最中におこったものだったことが発覚してしまいます。チーム内のスタッフであった女性との情事がバレただけでなく、ペトリノ氏が2万ドルを彼女に贈呈していたことも明るみになり、その報道内容はさながら昼ドラを見ているようでした。結果大学側はペトリノ氏を解雇する他に手はなく、2010年と2011年トータルで21勝5敗と波に乗り、これからというアーカンソー大を彼の不正行為のせいで闇に陥れてしまったのです。

この後ペトリノ氏はウェスタンケンタッキー大、そして再びルイビル大とヘッドコーチ業に復帰し、今の所「悪さ」を起こした気配はありません。これまでの失敗で襟を正したと思いたいですが、どちらにしても彼の一連の騒動がアーカンソー大の名を汚したことに変わりはありません。

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