NFLドラフト

NFLドラフトの歴史

NFLドラフトの歴史を紐解くには1936年まで遡らなければなりません。プロリーグ(米プロフットボール連盟/APFA)が結成されたのが1920年ですから、プロリーグ開幕以来16年間の間ドラフトなるものは存在しなかったことになります。

当時のチームオーナーたちはこのドラフト会議が後世において今のように華やかな一大イベントに成長するとは夢にも思っていなかったことでしょう。しかし閉ざされたドアの向こうで行われていた当時のドラフトと、現在のようにテレビ放映されるまでに至ったドラフトとでは、様相は変わってもドラフトの真の目的はほぼ不変です。

ドラフトの始まり

ドラフトの始まりはフィラデルフィアイーグルスのオーナー、バート・ベル(Bart Bell)氏が自身のチームがいい選手とさっぱり契約にこぎつけることができないことから、それを改善するために彼の要請で行われたと言います。

当時、選手はそれぞれが自分にベストなオファーをしてくれたチームと契約していました。ですから資金が潤沢なチームはお金をはたいていい選手をいくらでも呼べたのですが、そうでないチームは「余り者」しかチームに補充することができなかったのです。

チームが強くなければ試合には勝てませんし、そうなればファンもスタジアムに足を運ばなくなります。その結果収入は減り、そして新たにチームを強くしようにもいい選手を確保するだけの資金が足りない・・・。そんな悪循環が続いてしまうのです。これでは明らかにチームの格差がモロに出てしまいます。

そこでイーグルスのベル氏は次季シーズンのルーキーたちを一堂に集め、前年度の最下位チームから順番に契約を結んでいくというシステムを他のオーナーたちに提案しました。これで弱いチーム・お金が無いチームも能力のある将来性豊かなルーキーたちと契約することができるとベル氏は踏んだのです。

当時のシステムだとチームは選んだ選手との独占契約権を確保し契約金などの交渉をすることができますが、選手はそのチームと必ず契約を結ぶか、嫌であればその年をスキップして次の年のドラフトまで「留年」するかを選ばなければなりませんでした。

結果的にこのベル氏の案は全会一致で承諾されたのです。

スカウトの誕生

最初のドラフト会議では大きな黒板にチョークで90人のルーキーの名前が記され、それを睨みながらオーナーたちが順番に選手を指名していったということです。この時候補に上がっていた選手は噂やカレッジコーチの推薦などで挙げられた選手たちばかり。きっと当時は選手がチームに合流するまで実際プレーを見たことがないオーナーばかりだったのでしょう。それだけ当時は情報が欠如していたということです。

そういった状況でドラフトで少しでもいい選手を引き当てるための情報確保のためにまだ誰もやっていなかった方法を考えついた人物がいます。当時ニューヨークジャイアンツのオーナーだったティム・マラ(Tim Mara)氏から後にチームを譲り受けることになる、彼の息子のウィリントン・マラ(Willington Mara)氏です。

彼は地方の新聞を読み漁りより身近な選手たちの情報を仕入れ、それを元に自ら全国を駆け巡ってまだ世に知られていないタレント発掘に精を出したそうです。その結果マラ氏はジャイアンツのドラフト決定権で絶大な影響力を持っていたと言います。

そして1946年ごろ、ロサンゼルスラムズのオーナー、ダン・リーヴス(Dan Reeve)はさらにこのプロセスを昇華させます。彼は地方新聞を読みそれを元に地方を駆け回るための人たちをそれ専門に雇ったのです。つまり「スカウト」の誕生です。リーヴス氏が最初に雇ったスカウトは元グリーンベイパッカーズのTB、エディ・コタル(Eddie Kotal)氏だったそうです。コタル氏は自分の目で見て「これだ!」という選手をリーブス氏に報告しそれを元にドラフト会議で選手を選択。その結果1949、1950、1951年度スーパーボウルを獲得するチームを組み立てる基礎を作ることに成功したのです。

選手とのギャップ

ただ、当時プロとしてフットボールをプレーするという意義は今現在のものとは大きく異なっていました。今ではトップレベルの選手は莫大なサラリーを得るに至り、皆がそれを目指してプレーしますが、昔はまだプロリーグが確実に認知されておらず、大学を出てからプロに行こうという選手のモチベーションは今とは比較にならないくらい低かったようです。

例えばジェイ・バーワンガー(Jay Berwanger)氏の場合。彼はシカゴ大でプレーし1935年にはハイズマントロフィーを受賞。1936年に行われた史上最初のドラフトの目玉選手としてフィラデルフィアイーグルスから指名を受けます。しかし彼とイーグルスとの間でサラリーの面で折り合いがつかず、さらにバーワインガー氏が十種競技でオリンピック出場を目指していたため、アマチュア資格を保持するためにイーグルスとの契約を拒否しました。その代案としてイーグルスはバーワインガー氏との交渉権をシカゴベアーズに譲る代わりに彼らからアート・バス(Art Buss/ミシガン州立大出身)氏をトレードで獲得します。

そしてバーワインガー氏がオリンピック(ベルリン五輪)出場を逃すと、彼との交渉権を保持するベアーズが再び契約への交渉を始めます。そこでバーワインガー氏が要求したサラリー1万5千ドルに対しベアーズのオーナー、ジョージ・ハラス(George Halas)氏が提示したのが1万3500ドル。ここでもまた折り合いがつかず、結局バーワインガー氏はベアーズと契約を結ぶことはなく、シカゴにあるゴム製品の会社に就職し、その傍らシカゴ大のフットボール部のコーチとして母校に尽くすことにしたのです。プロからのオファーを蹴って普通の会社に就職するなど今では考えられないことです。もっともバーワインガー氏は後年ベアーズと契約を結ばなかったことを後悔していると告白しました。

別の例もあります。1946年、ワシントンレッドスキンズはUCLAのQBカル・ロッシ(Cal Rossi)を第1巡、全体で9番目にドラフト指名しますが、のちにロッシがまだ3年生でプロリーグでのプレー資格を持っていないことが判明。そしてレッドスキンズはその翌年再びロッシを指名しますが、その時点でロッシはプロでプレーする気は無くなっていたというのです。

AFLの誕生、そして共存

1960年代に入るとドラフトに大きな転機が訪れます。それまで唯一のプロフットボールリーグとして認知されていたNFLでしたが、リーグに参入したくてもそれを許されないオーナーたちが集まり新しいプロリーグを設立したのです。アメリカンフットボールリーグ(AFL)と呼ばれるこのリーグではそれぞれのチームがNFLチームがオファーする金額よりもいい条件を選手たちに提示して徐々にリーグの質を高めて行きます。そしてついにはNFLとも対等にやり合えるほどになり、次第に選手獲得を巡って火花を散らすようになります。

ひどいものになると目当ての選手を誘拐のごとくホテルに軟禁し他チームからのコンタクトを遮断させるようなチームまで現れたほどです。

これに歯止めをかけるためにNFLとAFLは一緒にドラフト会議を行うことに合意します。これが後の1970年に起こるリーグ合併の最初のステップであったと言えます。

情報収集

1960年代のテクノロジーは相変わらずアナログでした。チームはコンピューターを使えばドラフト候補たちの膨大な情報もより素早く効率的に処理されることは解ってはいましたが、当時はそんなシステムを導入するには金がかかりすぎるということでどのチームもこの技術に手を出すことはありませんでした。

そんな中1963年にデトロイトライオンズ、フィラデルフィアイーグルス、ピッツバーグスティーラーズの3チームがLESTO(the Lions, Eagles, Steelers Talent Organization)を結成。

この3チームはそれぞれのチームがスカウティングで得た情報を共有し、この情報をグループの代表者(当時は元スティーラーズの選手だったジャック・バトラー氏)が収集・分析しドラフト候補選手に評価付をし、その格付けをそれぞれのチームに提供をするというシステムを構築したのです。後にシカゴベアーズも参加して名前をBLESTOと改名しますが、これに乗っかる形でクアドラ(Quadra)やナショナル(The National)といった似たようなシステムも追随するようになります。

スカウトコンバイン

そしてそれらのスカウティンググループは1977年に候補選手を一つの場所に集めて選手の能力を直に見極めることを思いつきます。今で言う「スカウトコンバイン」です。

当初はそれぞれのグループが単独で行っていたコンバインでしたが、選手のメディカルチェックに莫大なお金がかかることがネックとなり、それを節約するためにBLESTOとナショナルが1982年に合同でコンバインを行うことに合意します。

1987年にスカウトコンバインはインディアナ州のインディアナポリスに開催地を移し現在までここで毎年選手たちの「見本市」が行われています。驚くなかれ、今もこのスカウトコンバインはBLESTOとナショナルの上役が取り仕切っています。また彼らはNFLドラフトの相談役も務めており、特にカレッジで卒業を待たずにドラフト入りを検討している選手(アーリーエントリー)たちに彼らがドラフトでどれくらいの評価を受けるか、そして彼らがドラフトされる可能性はどれくらいなのか助言するという重要な役割を担っています。

ESPNとドラフト

以前はスカウティングのプロセスが世に出ることはありませんでした。しかしスカウティングコンバインが行われるようになるとドラフトまでの一連のプロセスにおいてメディアの露出も増え、徐々にファンたちの関心を集めるようになります。これに目をつけたのがスポーツ専門局のESPNです。

1980年、まだ新進のテレビ局であったESPNはNFLにドラフトの模様をテレビで放映することを交渉します。最初に行われた1936年のドラフト会議、当時は年老いたオーナーたちがホテルの一室に集まってひっそりと行われていたものでしたが、40数年後にはテレビで全米に放映されるようなイベントにまで成長することになったのです。

ドラフトの独占放映権を得たESPNがその模様を全国に流すと、彼らの思惑通りにまたたく間にファンのハートを掴み、一大イベントへと急成長を遂げます。

ESPNは更にこのイベントを確実なものにするために当時フリーランスのスカウト活動をしていたメル・カイパー・Jr.(Mel Kiper Jr.)氏をドラフト解説者として1984年に起用します。カイパー氏が紹介するドラフト候補の評価、そしてそれぞれのチームがどの選手を選択すべきかなどを事細かにテレビで分析する姿にテレビの前の視聴者は釘付けになりました。当時もドラフトの時期はフットボールはオフシーズンであったため、フットボールに飢えていたファンたちにとってはまたとないイベントだたのです。

ESPNのドラフトアナリスト、メル・カイパー・ジュニア氏

それ以来ESPNだけでなく他のネットワークメディアもドラフト及びそれに関連する情報収集に力を入れ始め、年を追うごとにドラフト報道は加熱するばかり。メディアが独自にスカウティングを行ったり、予想ドラフトをしてみたり・・・。

またチームはドラフトで低順位でドラフトされるような選手はむしろドラフト選手としてよりもフリーエージェント選手として呼び寄せたほうが得だということに気づき出し、それに伴いドラフトのラウンド数が削られていったのです。これはテレビ放送を行っていたESPNにとってはダラダラと一日中ドラフトを放映するよりもよっぽど効果的で、プロダクションとしてのドラフトの価値は上がっていったのでした。

ドラフト手法の変化

1989年、ジミー・ジョンソン(Jimmy Johnson)監督率いるダラスカウボーイズはこの年のドラフトでかつて無い手法を用いて注目を浴びました。

それはスターRBであったハーシャル・ウォーカー(Herschel Walker、元ジョージア大)氏と複数の中順位ドラフト任命権をミネソタバイキングに譲る代わりに、バイキングから5人の現役ベテラン選手、3つの第1巡目ドラフト任命権、3つの第2巡目ドラフト任命権、そして第3巡目と第6巡目のドラフト任命権を見返りとして受け取るという史上稀にみるトレードをやってのけたのです。

ウォーカー氏ほどのRBを放出するのには批判の声も上がりましたが、このトレードのお陰でカウボーイズはチームの底力を上げ、後の王国形成に大いに貢献したのです。1人のスパースターよりも多くの若く未来性のある選手のほうが長期的に見ればチームに貢献してくれる度合いが高いことを示したのでした。

またこのトレードでジョンソン氏が使用したドラフト任命権のトレードというのは、ドラフト創成期から存在したものの、その使用価値というのはどのチームも分からずにいました。彼はこのドラフト任命権のトレードをもっと有効に使うために、独自にトレードの価値を体系的にまとめあげそれをシステム化したのです。今でこそジョンソン氏が発案したアイデアは目新しいものではありませんが、当時はこれを知った他のチームがこれを真似て積極的にドラフトで指名権のトレードを行うようになりました。

イベントとしてのドラフト

そして今日、NFLドラフトは巨大な一代イベントへと変化しました。インターネットの普及は更にそれに拍車をかけ、熱狂的でないファンですら膨大なスカウト情報に簡単に触れることが出来るようになったのです。昔は主に選手のメディカルチェックが主な目的であったスカウトコンバインですらNFL独自のメディアであるNFLネットワークで生放送されるようになりました。

2010年にはNFLドラフトはアメリカの木曜日のプライムタイム枠(日本で言うゴールデン)で第1巡目を放送するようになります。そして第2、3巡目を金曜日、残りの第7巡目までを土曜日にと合計3日日に渡ってドラフトを生中継するようになりました。そしてこの年の視聴者数は脅威の730万世帯という数字を叩き出したのです。

ドラフトが生放送され、テレビ番組も年を追って派手になり、数え切れないほどのアナリストが候補選手を研究・採点し、昔では考えられないほどの高額な契約金が発生する・・・。この様にドラフトの様相は変わりましたが、それでもドラフトの根本は変わりません。それはドラフトによってそれぞれのチームの力関係が一極集中化しないようにするということです。そしてどんなに情報が溢れ、IT技術が向上し、契約金が増加したとしても、ドラフトが一種の「ギャンブル」であることも変わっていません。つまり、今も昔も当たりくじもあればハズレくじもあるということです。

我々カレッジフットボールファンとしては大学レベルで活躍した選手がどれだけプロレベルで通用するのかというのを追うのもまた一興ですよね。

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