デイヴ・シュラ氏、22年ぶりに現場復帰

NFLに精通している方ならドン・シュラ(Don Shula)という名前に聞き覚えがあると思います。1970年から1995年まで25年もの間マイアミドルフィンズを監督として率い、NFL最多勝利(347勝)、スーパーボウル優勝2度、5度のAFC優勝、最優秀監督賞獲得は4度も獲得。特に1972年度には17勝無敗という後にも先にもこの年のドルフィンズしか達成できていない完全シーズンを成し遂げたことでも有名です。引退してしばらくたちますが、現在は彼の名を冠した「シュラズ・ステーキハウス(Shula’s Steak House)」の経営にも携わっています。

そしてカレッジフットボール界で言えば彼の次男であるマイク・シュラ(Mike Shula)氏を思い浮かべます。

1984年から1986年までアラバマ大で先発QBを務めたマイク氏はその後1年間のプロ選手生活を経てコーチング業へ転身。数々のチームを渡り歩いた後、2000年から2002年まで父親がかつて所属したドルフィンズのQBコーチに着きます。そして2003年春、急遽空きが出た母校アラバマ大の監督就任の打診を受け、カレッジフットボール界に帰って来ることになります。

しかし2003年から2006年までの4年間、マイク氏率いるアラバマ大の戦績は26勝23敗とパッとしませんでした。しかも後年アラバマ大はNCAAの制裁を受けることになり、彼が稼いだ16勝が剥奪されてしまったので、マイク氏のアラバマ大での正式なレコードは10勝23敗ということになり、お世辞にも胸を張れるような成績を残すことはできませんでした。

その後マイク氏はプロリーグに舞い戻り、今年からはニューヨークジャイアンツのオフェンシブコーディネーターに就任しています。

そしてドン・シュラ氏の長男であるデイヴ・シュラ(Dave Shula)氏。彼は父親の恩恵を十二分に受けてドルフィンズのWRコーチとして華々しくプロコーチの道を歩み始めると1989年にはダラスカウボーイズのオフェンシブコーディネーターにまで昇進。そして1992年から1996年までシンシナティベンガルズのヘッドコーチにまで登りつめたのです。

しかしベンガルズでは5年間でトータル19勝52敗と撃沈。1996年には就任後71試合目で50敗を喫し、これがNFLで最速記録となるという汚点となり、同じ年のシーズン途中に監督の座を追われてしまいました。

親の七光りだけでここまでたどり着いたわけではなかったのでしょうが、マイク氏にしてもデイヴ氏にしても父親の存在が強烈過ぎて親を越えるまでには至っていません。デイヴ氏に至っては1996年にベンガルズから解雇されて以来コーチ業から足を洗い前述の「シュラズ・ステーキハウス」の経営側に移っていました。・・・去年までは。

というのもフットボール界から離れて22年、デイヴ氏は今年からダートマスカレッジのWRコーチに就任することになったのです。

フットボールチャンピオンシップサブディビジョン(FCS)内の、ハーバード大やイェール大、プリンストン大などのエリート大学が競うアイビーリーグ所属であるダートマスカレッジは実はデイブ氏の母校。彼は当時フロリダ州立大からスカラシップ(スポーツ奨学金)をオファーされるもそれを固辞してダートマスに入学。デイブ氏が大学時代にWRとして残したトータル1822レシーブヤードは未だダートマスで歴代6位の記録。そんな彼が母校にコーチとして凱旋するのです。

しかし現場から離れて22年がたち、その間専業ビジネスマンとしてコーチングから相当期間離れていた上に、かつてはプロでヘッドコーチまで務めたのにも関わらずFCSレベルのフットボールの現場に復帰して来たのは何故かと思わずに入られません。しかもデイブ氏は今年で58歳になるのです。

「今回(バディ)ターヴェンズ監督が私にこのようなチャンスを与えてくれたことに大変感謝します。私の妻とはダートマスで出会い、そして私の息子の一人もダートマス大でフットボールをプレーしたことを考えれば、私とダートマスは切っても切れない縁で結ばれています。ダートマスが優勝するための助けとなれることを非常に楽しみにしています。」とはデイブ氏の談。

このサイトはFCSではなくその上位リーグであるFBS(フットボールボウルサブディビジョン)を中心に記事を紹介していますが、今年のダートマスカレッジの動向にも少し目を向けてみたいと思います。

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