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それではいよいよNFLに汚点を残し、そしてそれによってカレッジでの印象も多少なりとも落としてしまった「ドラフトバスト」ワースト10を紹介したいと思います。そして当然ながらこのリストはAGS管理人独断の者ですのであしからず。

 

10位 デヴィッド・カー(David Carr) | フレズノ州立大 | QB
2002年ドラフト | 第1巡目第1位 | ヒューストンテキサンズ

2002年に創設されたヒューストンテキサンズの初のドラフト第1巡目選手としてチームの中核となるはずだったデヴィッド・カー。出身校のフレズノ州立大ではそのサイズと強肩で名を挙げ、今後長いことチームを引っ張っていってくれると期待されましたが、初年度16試合に先発出場し残したのはQBレーティング62.8という散々な数字。そしてNFL史上最多となる76個ものQBサックを食らってしまいました。そのせいかその後の4年間は怪我に悩まされ、見切りをつけたテキサンズは彼をトレードに出しましたがどのチームも手をつけず、結果2006年に解雇させられてしまいました。その後はカロライナパンサーズ、ニューヨークジャイアンツ、サンフランシスコ49ersと渡り歩きましたが、どれもバックアップとしての役割しか果たせず2010年に引退を余儀なくされました。テキサンズでのパフォーマンスは彼のせいだけではなく若く未経験なオフェンシブラインにも大きな問題がありましたが、2002年のトップドラフトとしてはカーのプロ生活はお世辞にも素晴らしいものとは言えませんでした。

9位 アキリー・スミス(Akili Smith) | オレゴン大 | QB
1999年ドラフト | 第1巡目第3位 | シンシナティベンガルズ

オレゴン大4年生時突如として現れ、30TDに11INTという好成績を残したアキリー・スミスはティム・カウチ(ケンタッキー大→クリーブランドブラウンズ)、ドノバン・マクナブ(シラキュース大→フィラデルフィアイーグルス)というQB達の後の3番手にシンシナティベンガルズにドラフトされました。しかし第1巡目で選ばれたものの、カレッジレベルでの経験不足(短大からオレゴン大に転校したため)を不安視する声はドラフト前からあり、しかもドラフト後は正規契約で揉め、トレーニングキャンプをほぼ棒にすることになり、それが災いしたのかベンガルズオフェンスをリードすることが出来ず、在籍4年間で先発出場はたった17試合。2002年に解雇される間での最後の2年間は主にバックアップとしてベンチを温めるはめになったのでした。ちなみにオレゴン大での彼のQBコーチは後にカリフォルニア大ヘッドコーチに就任することとなる、ジェフ・テッドフォード氏でしたが、彼が育てたQB達(トレント・ディルファー、ジョーイ・ハリントン、カイル・ボラー)はカレッジレベルでの大活躍がプロレベルで全く通用しないと言う共通点を持っていました。スミスもこれに漏れることは残念ながらありませんでした。

8位 トニー・マンダリッチ(Tony Mandarich) | ミシガン州立大 | OT
1989年ドラフト | 第1巡目第2位 | グリーンベイパッカーズ

OTとして1989年度ドラフトの第1巡目第2位でグリーンベイパッカーズにドラフトされたトニー・マンダリッチ。ミシガン州立大出身のマンダッリッチはオールアメリカン、Big TenのOT・オブ・ザ・イヤーを獲得するなど高い評価を得、ドラフト時には史上最高のOTドラフト候補だとまで担がれました。しかしその活躍はステロイド剤摂取によるものだということが判明。また既出のアキリー・スミスのように契約で揉め、正式に契約にサインをしたのはシーズン開始1週間前と言うとんでもない事態に。そしてシーズンが始まると彼の化けの皮は直ぐに剥がれ、3シーズン後にはパッカーズを解雇されてしまいます。第1巡目第2位で選ばれたにもかかわらずこの体たらくなパフォーマンスだったのに加え、彼の素行の悪さもありマンダリッチは「バスト」として知られるようになります。ちなみにマンダリッチの後続のドラフトを見てみると、バリー・サンダース(オクラホマ州立大→デトロイトライオンズ)、デリック・トーマス(アラバマ大→カンザスシティチーフス)、ディオン・サンダース(フロリダ州立大→アトランタファルコンズ)というそうそうたる顔ぶれ。ドラフトピックを間違えるだけで結果は天と地の差と言うお手本とも言うべき事例です。

7位 ローレンス・フィリップス(Lawrence Phillips) | ネブラスカ大 | RB
1996年ドラフト | 第1巡目第6位 | セントルイスラムズ

ネブラスカ大2年生時にローレンス・フィリップスは1818ランヤードに16TDという大活躍を納め全米中の注目を集めましたが、3年生時にガールフレンドに暴力を働き試合出場停止処分を下されます。当時のヘッドコーチ、トム・オズボーン氏は高まるフィリップスへの非難から彼を守りチームに止めましたが、これがさらに火に油を注ぐこととなりオズボーン氏も非難の的になってしまいます。そんな中全米1位のネブラスカ大は2位のフロリダ大とフィエスタボウルで全米タイトルをかけて対戦したのですが、オズボーン氏はフィリップスを先発RBに指名。そしてその期待に応えるように165ヤードに2TDというパフォーマンスでフロリダ大を倒しネブラスカが全米チャンプとなりました。この試合の活躍のおかげでフィリップスのドラフトでの株は急上昇し結果セントルイスラムズに1巡でドラフトされます。さらにこの時ラムズは当時の先発RBで6度もプロボウルに選ばれたジェローム・ベティスをトレードに出すほどまでにフィリップスに大きな期待を寄せました。しかしNFLで残したものといえばフィールド上でのプレーではなくフィールド外での問題ばかりでした。ネブラスカ大での素行は治らず、刑務所送りにまで至ったフィリップスはたったの2年でラムズから解雇されてしまったのです。フィリップスのアスリートとしての素質だけに目を奪われた、チーム側の判断ミスとしか言いようがありません。

6位 アンドレ・ウェア(Andre Ware) | ヒューストン大 | QB
1990年ドラフト | 第1巡目第7位 | デトロイトライオンズ

ヒューストン大在籍時に数々のレコードブックを書き換え、最優秀選手賞であるハイズマントロフィーまで獲得したアンドレ・ウェアでしたが、そのポテンシャルがプロレベルで活かされることはありませんでした。ドラフト後の契約で揉めるという出鼻をくじくようなプロ生活の始まりは序章に過ぎず、4年間で成功させたパスはたったの83投。奪ったTDも5つのみと言う散々な結果に。また当時のコーチ陣から重用されることが無かったのも響き、ドラフト前の期待に応えるだけの働きを披露することは出来ませんでした。5年間のNFL生活で活路を見出せなかったウェアはカナディアンフットボールリーグやNFLヨーロッパにその活躍の場を求めましたが、結局鳴かず飛ばずで1999年にひっそりとそのプロ生活にピリオドを打ちました。CFLでは1997年に在籍したトロントアーゴナッツでリーグ制覇を果たしますが、この時は同じくハイズマントロフィー受賞者だったQBドグ・フルティのバックアップにしか過ぎませんでした。フルティはこのチャンスを生かし見事NFLへ復帰したことがさらにウェアの下落人生を際立ててしまうのでした。

(つづく)